開館時間: 9:00〜16:00
休館日: 12/28~1/3, 成人の日, 建国記念の日(2/11), 春分の日

第9回 冨樫 泰時「思い出の発掘」 (平成2年~平成8年勤務)

 考古学を志してから多くの遺跡の発掘調査に参加させていただき、また自分で探し出して発掘した遺跡等その思い出は数え切れないほどある。
 最初に発掘調査した遺跡は三昧寺貝塚(町田市)であった。以来上ゲ屋遺跡・柳又遺跡・野尻湖湖底遺跡(長野県)、室谷洞窟(新潟県)、中沢貝塚(千葉県)、米島貝塚(埼玉県)、福井洞窟(長崎県)等が心に残る遺跡である。
 秋田県内の最初の発掘調査は小松遺跡(羽後町)で、その後下堤遺跡(秋田市)、米ヶ森遺跡(大仙市)、神沢遺跡(由利本荘市)等の調査を行い、また県教育委員会が主体となった金沢柵跡(横手市)、さらに脇本埋没家屋(男鹿市)等市町村が主体の調査にも多く参加させていただいた。 
 中でも自分で探し出した米ヶ森遺跡は最も思い出のある遺跡だ。発見のきっかけは長山幹丸氏の採集品の中に旧石器と思われる石器があったことである。そこで長山氏の案内で採集地点を確認に行った。場所は国道46号線沿いにあり、南側を荒川が西に向かって流れている。北側には標高313mの米ヶ森があり、その南麓台地一面が草地で、そこが遺跡であった。関係者から近い将来牧草地にする計画があると聞き、早速協和町教育委員会(当時)と協議して緊急に発掘調査をすることになった。これが秋田県では最初の旧石器時代遺跡の発掘調査となった。
 発掘調査は1969年(昭和44年)11月14、15日の二日間であった。その最初の調査で乳白色の頁岩製のナイフ形石器が出土した。まさに秋田美人に例えられるほど惚れ惚れする石器であった。以後、1970~1976年まで5次にわたる発掘調査を行い、多大な成果を得ることができた。
 以上の結果を『米ヶ森遺跡発掘調査報告書』(昭和53年3月)として刊行した。この中で、遺跡に因んで名付けた「米ヶ森型台形石器」をその石核から作り出す技法を「米ヶ森技法」と呼び、また「東山型ナイフ形石器」及び「杉久保型ナイフ形石器」の中間型式として「米ヶ森型ナイフ形石器」があり、三種類のナイフ形石器が存在すること、ほかに掻器、彫刻器、石刃、細石刃があることなどをまとめた。
 「米ヶ森技法」を解明したのは昭和50年秋のことであった。この年の出土石器を小林達雄氏宅へ持参した時、「米ヶ森型台形石器」同士が接合すること、さらに石核にも接合することが分かり、「米ヶ森技法」の行程を復元することができた。
 あっ、そうだ。最初の調査の時、秋田駒ヶ岳が噴火し、それを見に行く車で46号線が混んだ事を思い出した。


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