開館時間: 9:00〜16:00
休館日: 12/28~1/3, 成人の日, 建国記念の日(2/11), 春分の日
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 平成21年度まで、秋田県埋蔵文化財センターからは合計13名が交流員として中国甘粛省へ派遣され、3~7か月の間、様々な研修のほか、中国での生活を送ってきました。
 このコーナーでは、これまでに中国へ派遣された交流員らが、甘粛省での出来事や印象深かった事がらを一つずつピックアップして、紹介します。
 

※派遣された当時のエピソードですので、現在の状況とは違っている場合もあります。

  • 第1回
  • 第2回
  • 第3回
  • 第4回
  • 第5回
  • 第6回
  • 第7回
  • 第8回
  • 第9回
  • 第10回
  • 第11回
  • 第12回
  • 第13回

第1回 中国の携帯電話

私が交流員として中国にいったのは、今から3年前の2003年(SARSが流行した年)であるが、すでに中国でも中流層の間では携帯電話がかなり普及していた。私達がお世話になった考古所の職員もほとんどが携帯電話を持っていた。

機能的には、日本の一世代前のシンプルなものであったが、大分高価なものらしかった。驚くべきは、受信可能エリアの広さである。
日本とは電波方式が違うのだろうか、とにかくどんな田舎にいっても電波が届くのである。街から遠く離れた発掘現場や電波の届きにくそうな山間部にいても電話がつかえるし、日本からの電話も問題なく届く。

日本は中国に比べ圧倒的に狭いのに、ちょっと山間部にいくとすぐ圏外になる。いったい、どっちの携帯がつかえるのか?
実は日本の携帯電話は不便なのではと思った。

中国の携帯電話
中国の携帯電話

平成15(2003)年度交流員 村上義直

第2回 街角で買った芸能人のポスター

蘭州の街を歩いていると、道ばたで中国の芸能人のポスターが売られていました。
それらはとても安く、職場の若者へのお土産にちょうど良いと思い購入しました。
しかし、あとでポスターをよく見てみると「全くの別人」のポスターであったので、とても驚きました。

私は海賊版が多い中国において、偽物が売られていることについては特に驚きません。しかし、「モデルからすでに偽物」というのはあまりにも予想外です。そっくりさんを探して写真撮影をするよりも、「不正コピー」でつくった方が、楽だしバレない・・と思わなかったのでしょうか!?


というわけで、私が購入したポスターと、本人の写真を並べて載せておきます。
上段は竹野内豊と映画に競演し、日本でも有名な歌手・女優ケリー・チャン(陳慧琳)。下段は台湾の歌手ジョリン・ツァイ(蔡依林)です。

藤田交流員の買ったポスターのケリー・チャン(陳慧琳)
× 藤田交流員の買ったポスターのケリー・チャン(陳慧琳)
本物のケリー・チャン(陳慧琳)
本物のケリー・チャン(陳慧琳)
藤田交流員の買ったポスターのジョリン・ツァイ(蔡依林)
× 藤田交流員の買ったポスターのジョリン・ツァイ(蔡依林)
本物のジョリン・ツァイ(蔡依林)
本物のジョリン・ツァイ(蔡依林)

平成17(2005)年度交流員 藤田賢哉

第3回 本場の麻雀

2年前の磨嘴子遺跡合同発掘では、調査員全員武威市内のホテルに泊まりこみ、発掘から帰ると皆で食卓を囲み、賑やかな食事の後は静かな夜を過ごしていた。
はじめのうちは。
ある日、甘粛省の調査員から麻雀に誘われた。
本場の麻雀がいったいどんなものなのか、興味のあった自分は喜んで卓を囲むことにした。

中国に来てから、麻雀に対するイメージはずいぶんと変わっていた。
最初に訪れた蘭州で、散歩がてらに通りを歩くと、路地裏で麻雀に興じている人々に出くわすことがあった。
屋外で麻雀をするのはごく普通のことらしく、ちょっとした観光地や公園など、あちらこちらでジャラジャラという音が響いている。
少し覗いてみると、女性もずいぶんと混じって和気あいあいと打っている。
中国では麻雀も、将棋やトランプと同じくらい一般的な市民の娯楽として定着しているようなのだ。

甘粛省博物館の友人宅で
甘粛省博物館の友人宅で

さてその夜、麻雀は簡単なルール説明のあと、すぐに始まった。
ルールは思ったよりシンプルで、役や点数というものがなく、先に上がった人の勝ち。
ドンジャラのような感覚である。最初の回、私が上がるとみな驚嘆の声を上げた。
一回りすると、親がルールの変更を宣言した。先ほどまでとは違って、今度は蘭州の一般的なルールでやるというのである。これには驚いた。
ルールは地方によって色々あるらしく、
 「中国全土の麻雀ルールを集めたら分厚い本ができる」
 「武威市内には1000人同時に麻雀を打てる娯楽施設がある」などと、
牌を打ちながら嬉しそうに語っていた。

次の日から誘われることが多くなり、発掘調査が終了して蘭州に戻った後もたびたび卓を囲むことがあったが、それからは勝つことはなかなか難しくなっていった。
みな、最初の頃とは目つきが違う気がした。

平成16(2004)年度交流員 加藤 竜

第4回 本の町

中国には本屋さんが多いです。地方ごとの中心地に新華書店(シンホワシューティエンと読みます)という大きなビルがあり、上から下まで本屋さん。

甘粛省も例外ではありません。
蘭州の町中には、新刊・古本、大小様々な本屋さんがあり、中には会員カードを作ると5%引きというすばらしいサービスまで。
この本屋さんは、芸術系の本が多く、いつまででも立ち読みしていて飽きないお店でした。

このお店を知ったのは、中国のかわいい女の子に教えてもらったのです。
私が道路を渡れずに道ばたで困っていたとき(中国の道路は殺人ドライバーの天国です)に、「一緒走把(一緒に来なさいよ)!!」といって手を引いてくれたのです。

見事なキャット・ウォークで私を対岸に渡らせてくれたあと、「あんた、どこ行くの?」と聞かれ、「本屋」といったら、私の中国語がよっぽど下手だったのでしょうか、それとも先行き不安に思ってくれたのでしょうか、いつも行く本屋とは違う方向へ向かい、こっちの方がいいといって連れていってくれました。

パナマやメキシコで肝っ玉母さんのような女性に助けてもらったことは多々あるのですが、若い女性に助けてもらったのは、初めて。
この一件だけでも、私は中国が大好きになりました。

ところで、中国には山口百恵のファンがものすごく多いのです。
それででしょうか、先の芸術系書店で買った「中国美人画集」の女の子たちはみんな山口百恵に似ているような気がするのですが、日本人の身びいきに過ぎるでしょうか?

私は初々しかった頃のチャン・ツイイーが大好きなのですが、蘭州の友人曰く「あんな程度ならその辺にいるぞ」。

確かに、私の手を引いてくれた女の子も美人でした。蘭州はとってもいいところです。

平成13(2001)年度交流員 宇田川 浩一

第5回 砂漠のトイレに「ほっ」

甘粛省文物考古研究所の職員と砂漠へ遺跡の調査と視察に出かけた。

6月の太陽が肌に痛い。灼熱である。
急に用を足したくなる。朝食べた肉まんと生ニンニクが腹にきたか…。

周囲には人がいる。
考古所の仲間たちにしばしの別れを告げ、そそくさと人目の付かないところへ
足早に(やや内股気味に)急ぐ。

ちょうど良い目隠しになりそうなブッシュがあった。
足を乗せるのに最適な石もあるではないか。
やれやれ、よっこらしょ。
おもむろにズボンをおろそうとしたその時。どこからともなく人の姿が…。
砂漠で散歩か?そんな風体である。
いかん、いかん、別の場所を探そう、と足早に(かなり内股気味に)急ぐ。

しかし。

行けども行けども人ばかり。
ちょっと待てよ。ここはゴビ砂漠のど真ん中じゃなかったっけ?
砂漠のイメージは、静かなる無人世界だった。

しかし、ここはやけにうるさいぞ。
おやおや、デートとおぼしき二人乗りのバイクまで走ってきた。

さすがは13億人の人口を抱える中国。
もはや人のいないところはないということか。
トイレをさがした挙げ句のはてに砂漠で迷子にはなりたくなかったので、
人目につかないところを探すのは観念した。

ところが、しゃがみ込んで用を足していると
真っ青な空に覆われた静寂な、
まるで、太陽の光が降りそそぐ音がしそうなほどに
静寂な空間が自分を包み込んだ。

以来、砂漠でのトイレはなによりも心落ち着く
「“ほっ”と空間」となったのであった。

中央には竜巻が。砂漠のトイレは命がけとも。
中央には竜巻が。砂漠のトイレは命がけとも。

平成14(2002)年度交流員 吉川 耕太郎

第6回 彩陶の魚形文

黄河の中上流域、狭西省から甘粛省にかけては中国新石器時代の土器、彩陶が濃密に分布する地域で、甘粛省博物館は別名『彩陶博物館』と呼ばれるほど、省内で出土した数多くの彩陶を収蔵しています。

平成13年の交流員として約半年間、甘粛省博物館に滞在した私たちは、博物館がかつて1970年代に発掘調査した秦安県大地湾遺跡出土の土器が収められた収蔵庫で、1週間にわたり資料を見学しスケッチする機会に恵まれました。

大地湾遺跡は日本でいうと、縄文時代前期(今から7,000~5,000年ほど前)にあたる遺跡です。

黄河中流域における早期の彩陶文化に属し、住居跡内に石灰貼りの舗装が施されていたことで、中国新石器文化の技術の高さを世に知らしめた遺跡です。
数多くの彩陶が出土していますが、実際に日本の縄文土器と比較してみると作りが緻密で焼きも堅く、赤褐色の地肌を墨描きの文様で飾るなど、土器作りに基本的な違いがあります。
特に興味深いのはこの墨描きの文様に魚の文様が描かれた浅い鉢があることです。器の形に合わせ文様としてデザイン化されていますが、流線形の胴体と鰭、さらに大きく描かれた眼が特徴的です。

魚の文様は現在でも皿などの絵柄に用いられますが、「双魚文」と呼ばれる魚文二尾を並べた文様はめでたさを象徴する意味を込め古くから磁器に描かれています。

また、金銅仏の足裏に毛彫りされた例なども知られています(矢野憲一『魚の文化史』)。
魚の形にはなにかしら祭祀的、宗教的な意味が込められ、器物の表面に描かれたことが知られます。
魚の文様や彫刻は日本でも縄文時代からあります。
しかし、大陸と異なって土器に施された例はきわめて稀で、むしろ石の表面に刻画された例、石を彫刻した例、粘土を焼いて作った例がいくつか知られています。今を隔てること数千年前に大陸と列島とで登場し、連綿と受け継がれてきた魚の文様・彫刻には、どのような意味の違いがあるのでしょうか?

甘粛省博物館に滞在した半年ほどの間、博物館の職員と会食する機会がありました。
中国式に調理された一尾まるごとの魚料理が円卓に載せられると、決まって頭は主賓に向けられ、主賓から箸を付けた後皆が食するならいでした。

大勢が一緒に食事をする際に出される魚料理は特別の主菜だったのです。
博物館の収蔵庫で見た魚形文の彩陶も、大陸の古代に黄河流域に暮らした漁撈民が、祭儀に際し共食の器として使用したのかも知れません。

魚形文の彩陶
彩陶のスケッチ

平成13(2001)年度交流員 小林 克

第7回 蘭州の床屋さん

床屋のおばさんは、蘭州でも多弁である。

おばさんは、ことばがあまりわからない私にもいろいろ話しかけてくる。私が返答に詰まっていると、
「私たちは蘭州訛りだから、よその人にはわからないのよね。」
とほかのお客に向かってしゃべり出す。
蘭州なまりの話から始まってひとしきり地元の話をしていたと思ったら、私に向かって
「蘭州方言を知ってる?」
私が唯一知っている蘭州方言「フアフア」(汁物をすくうレンゲのこと)を言うと、大げさに驚き、他のお客たちと大笑い。

洗髪のシャンプーは2種類あって選べる。おばさんは
「日本人だから良いシャンプーにしなさい。ちょっと高いけど。」
どのくらい値段が違うのか聞いたら、2元(約30円)と4元(約60円)だという。奨められるままに良いシャンプーを選び、散髪が終わって値段を聞くと
「5元(約75円)。」

床屋のおばさん
床屋のおばさん

これは安いと思って、1ヶ月後、また行った。
またしてもおばさんは、
「私たちは蘭州方言で話をするから、よその人にはわからないのよね。」
「蘭州方言を教えてあげようか?」
そして、「良いシャンプーにしなさいよ。」
今日の散髪代は「8元(約120円)。」
「今日のシャンプーはとびきり良いシャンプーだったのよ。」

1ヶ月後、三度目の散髪は10元(約150円)だった。

平成17(2005)年度交流員 谷地 薫

第8回 中国の酒事情

私達交流員が中国を訪れると、必ず熱烈な歓迎を受けるが、そこに欠かすことができないのが酒であり、それは交流の潤滑油とでも呼ぶべきほど重要な役割を果たしている。

中国のお酒のカテゴリーは大きく以下のようになる。
 ・白酒バイジウ…穀物(高梁コウリャンなど)を主原料に作る蒸留酒。30~60度までがある。
 ・黄酒ホワンジウ…穀物を原料に作る醸造酒。長年貯蔵したものを「老酒」と呼ぶ。
 ・口卑(口へんに「卑」)酒ピージウ…ビールのこと。中国でも一番よく飲まれるお酒。
 ・果酒グワジウ…ワインなどの醸造酒と、白酒ベースのリキュールに分けられる。
 ・薬酒ヤオジウ…上記各種の酒に漢方を混ぜたもの。もとは不老長寿を願って作られた。

宴会の席で最も多く口にするのは白酒で、その飲み方も日本人から見ればかなり過激だ。

通常宴会の出だしでは、円卓に座り、だされた料理を順々に食べながら、ビールやお茶を飲んで、比較的平穏に進行するが、料理が出尽くした頃に中国式ジャンケンが必ず始まる。

日本の「いっせーのせっ」で、親指を出すゲームのルールにも似た中国式ジャンケンにより、繰り広げられる一気飲み大会は、どうやら宴会に欠かせない恒例行事のようだ。

そして、この時に飲むのは決まって白酒である。

お酒の席で中国人はよく、「私はお酒はあまり飲めません」と口にするが、実際見る限りではウソにしか聞こえない。日本人の感覚とはだいぶ違うようである。

中国の歴史上の故事では、酒にまつわるウソかホントか分からない有名な逸話がある。伝説の夏王朝や殷王朝の最後の王は、お酒を飲みすぎる不摂生な生活をおくり政治を省みなかったため、国が滅んだという。

なかでも殷王紂(チュウ)の酒池肉林の故事は特に有名である。

その戒めか、周王朝期には、中国で最初の禁酒令「酒酷(しゅこく)」が公布され、漢代前期には、3人以上集まって飲酒すれば罰金というおふれも出された。

3人以上集まって飲酒すれば罰金というのは、思想統制を狙った策であり、その他文献上の国家存亡に関わる酒の話も、文面どおりに受けるにはあまりに現実離れしているが、そんな歴史の一大事に酒を登場させるところに、酒に対する中国人らしさがでてるのだろうか。

中国の白酒バイジウ
中国の白酒バイジウ
宴会となると必ず中国式ジャンケンが始まる
宴会となると必ず中国式ジャンケンが始まる

平成15(2003)年度交流員 新海和広

第9回 中国での中秋節

平成19年9月25日の十五夜は、秋田でも雲間によい月を拝むことができた。
みなさんはお月見できましたか?

平成16年の中秋は9月28日、私は蘭州でその夜を迎えた。
甘粛省政府が外国人来省者を招いて、建国55周年を祝う会を開催したので、文物考古研究所が準備してくれた車に送ってもらいその会に出席した。
蘭州で日本人と会うことはほとんど無かったが、その会では同じ円卓に、蘭州の大学で日本語を教えておられる日本人の方々と知り合うことができた。

十五夜は中国では中秋節という。
家族が集まって、月を見ながら楽しく過ごす日なのだそうだ。
この日も、会場に向かう途中の飲食店、蘭州では特においしい羊料理店などは、多くの家族連れでにぎわっていた。
家族をとても大切にする中国の習慣であることをあらためて感じた。

ところで日本でも馴染みのある月餅という菓子は、蘭州のスーパーなどでも多く目にした。
この中秋節前後の時期以外にはほとんど見かけなかったので、まさに中秋節のお菓子だと思った。
直径3㎝程度の小さいものから20㎝を超える大きなもの、餡の種類も多様、店での売られ方も様々で、単品バラ売りのほか、高級ブランデーと組み合わせにした大変高価なものまであり、日本には見られない光景であった。

お月見といい、月餅といい、遠く離れていながら文化のつながりを感じた。私が交流員として中国にいったのは、今から3年前の2003年(SARSが流行した年)であるが、すでに中国でも中流層の間では携帯電話がかなり普及していた。私達がお世話になった考古所の職員もほとんどが携帯電話を持っていた。

機能的には、日本の一世代前のシンプルなものであったが、大分高価なものらしかった。驚くべきは、受信可能エリアの広さである。
日本とは電波方式が違うのだろうか、とにかくどんな田舎にいっても電波が届くのである。街から遠く離れた発掘現場や電波の届きにくそうな山間部にいても電話がつかえるし、日本からの電話も問題なく届く。

日本は中国に比べ圧倒的に狭いのに、ちょっと山間部にいくとすぐ圏外になる。いったい、どっちの携帯がつかえるのか?
実は日本の携帯電話は不便なのではと思った。

月

さて、平成16年の中秋節はあいにくの曇りがちな天気。
夜会が終わった後でアパートへ戻る途中、
運転手さんの粋な計らいで黄河対岸の公園に立ち寄った。
公園の中央には大きな噴水がある。
真ん中の塔の上には、これまた大きく復元した彩陶のモニュメントがあって、
そこから水が噴き出している。
公園には近辺にある大学の学生の集団が幾つも集い、
それぞれの団体ごとに語らったり、歌をうたったりしている。
先の運転手さんの息子さんも大学生だそうで、
自分の息子を思いながら大学生の中秋節の過ごし方をみせてくれたのだった。

下の写真は雲の合間から見えたその時の月。秋田で、縁側に小さなテーブルをだし、果物や団子とススキを飾って見上げた月を思い出した。

平成16(2004)年度交流員 武藤祐浩

第10回 黄河での魚釣り

中国への出発前に、仕事の合間に息抜きに釣りでもしたらということで同僚からコンパクトに収納できるリール竿をもらった。

魚釣りは私の趣味の一つであるが、荷物が増えるため、中国での魚釣りはあきらめていた。
リールも合わせるとそれなりの重量になるし、スペースもとる。
しかし、釣り人にとって外国での釣りは夢・浪漫。
持っていくことにしよう!

蘭州市に到着して2~3日後の休日、バックの中に日本から持参した釣り具一式を詰め込み、黄河周辺の散策に出かけた。
同僚には、チャンスがあれば釣りをすると宣言していた。
観光地で勝手に釣りをしたら捕まるのではないかという不安はあったものの、チャレンジすることにした。

黄河というと世界的な大河であるが、蘭州市付近は上~中流域にあたるため、川幅は秋田市内を流れる雄物川くらいしかない。
黄河に到着し、川を眺める。
水はその名のとおり黄色く濁り、何となくアマゾンの河川を彷彿とさせる色である。

次第に大ナマズがいるのではないかと言う気持ちになってきた。
「この釣り竿だと、持ちこたえられるのはせいぜい50~60㎝くらいの魚。大ナマズの子供なら大丈夫だ」などと勝手にプラス思考で準備をし、第一投目。

錘が軽く飛距離は30mにも満たない。
リールを回し糸を巻きとっていくと、すぐに大きな手応えが!
と思ったらいきなり中国を引っかけてしまった。
水が濁っているためわからなかったが、浅瀬であった。
その後10投くらいやってみたが、底の障害物に引っかかるばかりでまったく釣れる気配はない。

近くに親子連れがいて何やら話しかけてくるが、内容がわからないので紙にかいてもらった。
そこには、ショッキングな内容が。
「この川は汚いので魚はいない」
黄河のイメージが見事に崩れ去った。
釣りをしているのは私一人。
中国での釣りは早くも終わった。

今、中国では急速な発展に伴う公害問題が深刻化している。
私が行った2003年の時にも、この問題を実感した。
かつての日本の公害のように深刻にならなければよいが・・・・・。

釣り

平成15(2003)年度交流員 村上義直

第11回 早い、安い、うまい

甘粛省に滞在した7ヶ月、私はほとんど料理をしなかった。
私が料理が苦手だったから、理由はそれだけではない。
アパートの敷地を一歩外に出れば、安くて美味しいお料理が街に溢れている。
苦労して自宅で調理する必要は無かったのだ。
中でも、好んで食べたのが麺料理だ。

甘粛省蘭州市は回族が作る麺料理の宝庫だ。
名物「牛肉面」
小さくカットされた豆腐や野菜が入ったあっさり味の「サオズ面」
肉味噌を絡めて食べる「炸醤面」
日本のモツラーメンを思わせる「肥腸面」
ボリュームたっぷりで焼きうどん風の「炒面」などなど…。

種類が豊富な上に、麺は打ち立て・茹でたて。
中国各地に麺料理はあるが、蘭州の味は他では味わえないだろう。
と、すっかり蘭州びいきになってしまった私は思う。

こうした麺料理を出す専門店は、大抵は朝から昼までの営業でセルフサービスだ。
まず入り口で食券を買う。
どんぶりを一つ取り、ビニールカバーを外して食券と共にカウンターへ出す。
カウンターのお兄さんに面の太さやラー油の量を伝えると2~3分ほどで注文したラーメンが出来てくる。
価格は、牛肉面で3元程度。
某牛丼店もビックリの「早い」「うまい」「安い」である。

私は、アパート周辺で特に気に入った麺料理屋3軒に通い、ほぼ毎日麺を食べた。
そのかいあってか、はじめは片言の中国語で食券を買う私を無表情に見ていた食券売りのおばさんも、5ヶ月を過ぎる頃にはいつものメニューの食券を笑顔で差し出してくれるようになり、カウンターのお兄さんは私の顔を見ただけでいつもの太さの麺を打つようになった。

あれから5年が過ぎた。
いまでもあの店は、そしてあの人たちは変わらずにあの場所にいるのだろうか。
時々無性に、なじみの顔に囲まれてあの牛肉面を食べたくなる。

牛肉面屋のおねえさん
牛肉面屋のおねえさん
蘭州名物 牛肉面
蘭州名物 牛肉面

平成14(2002)年度交流員 加藤朋夏

第12回 水烟について

向こうに住み始めたころ、甘粛省博物館の向かいのレストランに谷地交流員と行きました。
私たちが座ったテーブルの脇には展示ケースがあり、そこに近世・近代のものと思われる小物が並べられていました。

それらについて中国通の谷地交流員からいろいろ教えてもらったのですが、そのとき、その中の一品の「水烟」という煙草のパイプの存在を知りました。

当時のわたしは愛煙家であったこともありますが、高層ビルが立ち並ぶ現代の中国では、なかなか出会えない古い中国の風流?を感じて猛烈にそのパイプに惹かれてしまいました。

現在の中国の煙草は日本と同様、紙巻き煙草が吸われ、水烟は完全に過去のものとなっています。
しかし、この水烟で喫煙すると、水を通った煙はタール等が除去される為、まろやかな味わいになります。
少量の刻みタバコを雁首に直接差し込んで使う点は日本の煙管と同様ですが、予備の刻み煙草をしまっておける部分や、装飾の鎖、清掃用のブラシやピンセットが備えられており、なんかとても格好よく味わい深いと思いました。

これは中国全土の観光地の土産屋でも販売しておりますが、土産物はおもちゃっぽくて造りも華奢でした。
良かったものは、蘭州の煙草屋で谷地交流員と一緒に買いにいった水烟です。
この水烟は土産屋で売っているものに比べてずっしりと重く、頑丈な作りでした。
これらはお土産にさせていただきました。

水烟は骨董屋でも売っていましたが、立派なものは値段が高く手が出ませんでした。
しかし、わたしは別のところで「清代のものだよ」と言われたことで気持ちが高揚し、つい購入してしまった水烟を持っています。
これが本当に清代のものであるならば、この水烟はアヘンに使用された激動の歴史があるのかもしれません。(しかし清代の水烟は、今なぜか行方不明です。)

この前、某テレビ局のジャッキーチェン主演・監督の映画「ヤングマスター」の放送で、最後の強敵と格闘する場面をみました。
それまでボロボロにやられていたジャッキーチェンの演じる主人公は、水と間違って水烟の水を飲んで興奮状態になり、そのまま敵をやっつけた場面がありました。
水烟の水はふつう2~3回の喫煙で取り替えるのですが、その映画では長年使い込んでいた水が入っており、主人公はそれを飲んでしまったようです。
水烟を知っていた私は改めて映画の内容を認識することができました。

水烟

平成17(2005)年度交流員 藤田賢哉

第13回 チベットは中国人あこがれの地

北京オリンピックが2008年8月8日に開幕。
私が甘粛省へ交流員として滞在していたのは2007年だ。
オリンピックを1年後に控え、中国各地が活気に包まれていました。
甘粛省の省庁所在地である蘭州市もモニュメントが建てられたり、スポーツ行事などが頻繁に開催されていた。
そのころには、最近問題にされているチベット問題などは微塵も感じさせられなかった。

甘粛省は漢代になり、中国に組み込まれた地であり、漢民族だけでなく、回族(イスラム教徒)、蔵族(チベット族)も住んでおり、甘南蔵族自治州もあるという位、チベット人も多く住んでいる。
考古所の近くには、西北民族大学があり、チベット人の学生もたくさんいた。
その大学で立てこもり事件があったと帰国後にラジオから流れたときはショックだった。

あの平和な蘭州で…!

さて暗い話は置いておき、中国人はチベットの地にかなりのあこがれを抱いている様である。

旅行代理店の前を通れば、看板に「4泊5日3000元チベットラサへの旅」といった広告をよく見かけた。
テレビの観光CMもよく見かける。
私たちは月1000元(約1万6千円)の生活費を頂いていたが、それはあちらの大卒の初任給に匹敵する。
よってこの旅もかなりの高額である。
しかし人気は高い。

チベットはチベット仏教の聖地であり、またヒマラヤ山脈の一端をになう標高4千m級の山々が連なる高地である。
まさに平地に暮らす人々には、別世界である。
日本の感覚で言えば、アイヌ文化を持つ北海道や中国や東南アジアの影響を感じさせる琉球(沖縄)といったような国内でありながら、少し異郷を感じさせる地である。

そこへ繋がる青海チベット鉄道が2005年に開通した。
その鉄道は、「天路」とまで例えられている。

ちょうど私の滞在期間に有名な女性歌手の歌が大ヒットしていた。
歌手の名は「韓紅」、歌の名は「天路」である。
彼女は漢族籍だが、チベット系民族の血も流れている。
チベットの曲は大自然を讃えた美しい曲が多い。
この「天路」にもその雰囲気がある。
この曲の内容も、「大自然の美しさを讃え、人々が山を越え集まり、酒を酌み交わし、四方に幸せな歌が響く」といったものだ。

私もぜひチベットへ行ってみたいと思ったが、観光しに甘粛省へ来ているわけではないのでそうもいかない。
幸い蘭州市内には「蔵族バー」というチベット人が経営し、チベットの酒を飲みながら、彼らの踊りや歌を楽しむ居酒屋があった。
そこで私はチベット文化に触れ天路への夢を垣間見ることにしたのである。

平成19(2007)年度交流員 山村 剛


問い合わせ先
秋田県埋蔵文化財センター
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