開館時間: 9:00〜16:00
休館日: 12/28~1/3, 成人の日, 建国記念の日(2/11), 春分の日

第6回 船木 義勝「世界で唯一、木造建造物群と噴火災害遺産 -胡桃館遺跡-」 (昭和56~平成17年勤務)

 1967~1969年(昭和42~44)の3年間、3次(調査主体:秋田県教育委員会・鷹巣町教育委員会)にわたって行われた胡桃館遺跡の発掘調査がある。当時学生だった私は、最初と最後の調査に参加させていただいた。調査は、岩手大学生中心によるもので、鷹巣中学校冬期寄宿舎を合宿所にして夏期休暇中の期間に行われた。

 最も忘れがたいのは、トレンチを設定し、スコップで掘り始めたが、スコップが刺さるのは耕作土(表土)だけで、シラス層(十和田火山泥流)にまったく刺さらなかったことである。ツルハシもその先端が刺さるだけであった。コンクリートにスコップ、ツルハシを刺すと言えば大げさだが、まさにそんな感覚であった。ベルトコンベアーはあったが、現在の小型掘削機はなかった時代だったのであろう。乾燥下だとコンクリートのように堅いシラス層は、水に弱いというか脆い土質である。そこで消防団のポンプ車で水をまきながらシラス層に立ちむかったが、今度はツルハシを振り下ろすと同時に顔面に泥水を浴びることになる。また手と腕の疲労が激しく、食事の際、箸を握れないほどであった。こんな思い出も今はなつかしい。

 このような発掘現場であったが、シラス層(厚さ約1m前後)のなかから木造建造物が建った状態で顔を出しはじめた時はうれしかった。B2とCと呼ぶ建物の壁面は、なんと板の上に板をかさねる板校倉で、板と板を支える柱がなく、土台(土居)材をもつ平地式建物であった。大学の授業で教わった掘立柱建物とは、似ても似つかぬ構造で、まったく新しい建造物が見つかったのである。この時の衝撃はいまだ消えない。胡桃館遺跡(西暦900年前後~915年)は、世界で唯一、当時の木造建造物群が建った状態で全域保存されている火山噴火災害遺産でなかろうか。

B2建物の発掘調査風景
B2建物の発掘調査風景

 発掘調査の開始からすでに46年目をむかえ、この間、奈良文化財研究所による建物部材調査が行われ、木簡も再発見されて、新しい知見が加えられている。しかしながら、従来の通説に大幅な修正を迫るものであっても、古代北東北史の社会像に変更を迫るような展開を見せていないのは、どうしてなのだろうか。遺跡の出土品や建物群だけを対象化するのではなく、北東北地域の社会的状況・自然環境などを読みながら、造営者の心性のなかに入り、遺跡の生きた景観に立ちあい、そこで確かめるすべはないものか。

 胡桃館遺跡を語るには、9世紀後半から10世紀前葉にわたる北東北の軍事・治安維持状況、延喜の軍政改革、北方交易・交流、境界世界・河川交通など、複眼的な視座で取り組み、むろん想像的なのだが、造営者との対話をめざすことであろう。この思い出深い胡桃館遺跡との出会いから46年、調査に参加させていただいた一人として、そろそろ私なりの胡桃館遺跡論を語ってみようと思案するこの頃である。

写真撮影用のヤグラ
写真撮影用のヤグラ

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