大高博康さんのこと
「そこを掘るな!」・・・妻から聞いた私の寝言である。多忙と緊張の中で仕事をしていた。でも、無事に調査を終え、報告書を完成できた。これは大高さん(補佐員)の存在が大きかった。彼は、全日本大口径ライフル選手権で数回優勝したり、ツキノワグマ・ウサギ・キジや北海道でヒグマ・エゾシカ等の狩猟をしていた。彼の行動力・緻密さ・明るい性格は発掘調査員に必要な資質である。報告書に掲載されている大型住居跡の実測図や縄文後期の壺形土器の展開図は彼の手による。
土器の盗難のこと
貯蔵穴の底部にあったほぼ完形の深鉢形土器が盗掘された。これは私の油断であった。見学者に迫力のある場面を見せてやろうと、貯蔵穴に土器を長く置いていたためである。遺物は記録したら取り上げるのが鉄則である。それにしても、持っていったあの土器はどうしたのだろうか。
新しい研究法の導入のこと
二枚貝の貝殻の年輪から採取季節を推定するとは驚きであった。東京大学総合研究資料館小池裕子氏(当時)にお願いしたが、発掘調査に貴重な資料を提供していただいた。多くの研究法が開発されているので、機会があったら積極的に導入したいものである。
大型住居の用途のこと
長軸31m、面積222㎡。この建物の用途をずっと考えてきた。今はこう考えている。サケの燻製を大量に作るため。この考えは、退職後、アイヌのコタンや資料館を見学して得たものである。チセ(家)の囲炉裏の上に数千匹のサケが吊されていたのを見たり、資料館の方から「アイヌの人は年間1人200匹ものサケを食べる」、「サケはアイヌの人の主食である」という説明を聞いてからである。食べ方は、サケの燻製を湯で戻し、コンブや山菜を入れた汁物にする。そこで大型住居の用途を4つのポイント(①立地、②多人数、③広い空間、④炉)から考えてみた。①について。貯蔵穴からサケ、ニシン、サバ等の海水魚、ウグイ、フナの淡水魚が出土しているので、遺跡は河口の近くにあり、サケ漁に適した場所であった。②について。住居を建造する(竪穴を掘る、丸太材を切る、運ぶ、上屋を組む)にも、魚体の大きいサケを短期間に大量に捕獲し、処理する(内臓を取り出す、血やぬめりを洗う、囲炉裏の上に吊す)にも、多くの人手が必要である。③について。冬期間だけでなく、年間を通して食べるには大量の燻製をつくらなければならない。④について。建物の長軸線上に1間ごとに地床炉があり、赤く焼けて堅固であった。建物空間の隅々まで煙と適度な温度を供給していたのであろう。
地域の人々が力を合わせて大型住居を建造し、サケを捕獲し、処理し、燻製を作る。サケの漁期(晩秋~初冬)には働き手たちの宿泊場所でもあったろう。ひときわ大きいこの建物は、地域の人々の連帯のシンボルでもあったと思われる。