高校入学 早々に旧田代町の赤川遺跡で、「今時の若者はスコップの使い方も知らん」とか「櫻田っ!細心の注意を払って、大胆かつ大胆に掘れっ!!」と奥山潤先生、高橋昭悦さん、板橋範芳部長から叱咤激励されつつ、円筒下層式土器の発掘調査に参加して以来、県内では旧田代町下茂屋(現茂屋下岱)、大館市芋掘沢・上ノ山Ⅰ(現山館上ノ山)・萩ノ台Ⅱ・池内と、茂屋下岱式土器群・円筒下層式土器出土遺跡の発掘調査に携わってきた。
その中でも円筒下層式土器調査の原点となった赤川・下茂屋、通過点となった大館市上ノ山Ⅰと萩ノ台Ⅱ、集大成としての池内は忘れられない遺跡である。
赤川では、トレンチ一面に完形の円筒下層式土器が重なり合いながら敷き詰められた状態を見て驚愕し、高校3年直前の春休みに調査した下茂屋では担当したBトレンチで円筒下層b式包含層の下位に円筒下層a式包含層があり、その下位に薄い砂層を挟んでまた円筒下層b式の包含層が見られ、「何でa式の下からまたb式が出てくるんだ?」と疑問に思ったものである。高校卒業前に、奥山先生から「山内清男先生からa式とb式の分類について再検討するように手紙をもらった。個々の型式とするより、十腰内遺跡の報告書のように群類にし、直前型式と下層a・b式を包括する土器群として『茂屋下岱式土器群』を提唱し層位学的な再検討・分類を指向する」と伺ったことがある。
三内丸山遺跡の大発見フィーバーに湧いた時期と同じく調査した池内では、県北内陸部で初めて大規模な前期集落の大半を調査し、各種遺構が直線的帯状並行に配置されていたことから、「前期の円筒土器分布圏の集落は、環状構造ではなく直線的帯状並行(列状)配置構造である」と結論づけた。また、台地に開析された谷と斜面には、大コンテナ6,000箱分の土器、石器が厚い層を成して堆積していた。土の中に包含されるものもあれば、土を含まない土器、石器だけの遺物層も存在し、台地上部に竪穴住居や土坑を掘削した際の土が捨てられて厚く堆積しているのも確認した。
谷の最も下の土器堆積層で、39年前に下茂屋で初見した「円筒下層a式の下位の下層b式」土器が多数横倒状態で出土し、層位的にも米代川上流域では円筒下層a式直前に円筒下層b式類似の土器が存在するのは間違いないとの思いを強くした。
大館市上ノ山Ⅰと萩ノ台Ⅱ、池内では、重なり、敷き詰められた土器の出土状態を全て実測図化して、やはり山内清男先生分類のb式下位にa式、そしてその下位にb式が出てくるのを確認したものの、『茂屋下岱式土器群』の内容分析には至っていない。他の研究者より多くの良好な『茂屋下岱式土器群』出土遺跡に遭遇したにも拘わらず、力量不足のため滑落遭難した感じがする。