合同発掘調査2年目となったこの年。
昨年に続いて5基の漢代の墓と、武威市周辺では調査例の少ない新石器時代の遺構を調査し、多くの成果を挙げました。
調査期間 | 平成16年7月1日~9月13日 |
---|---|
調査面積 | 600㎡(I区 530㎡ II区 70㎡) |
調査をした 主な遺構 |
I区:主に新石器時代の遺構 土坑墓 57基、土坑 12基、 性格不明遺構 7基、土器埋設 21基 柱穴 9基 II区:漢代の遺構 土洞墓 5基、木槨墓 1基 |
調査の目的 | 1. 日中双方で、互いの発掘調査の方法や資料整理方法を学ぶ 2. 漢代墓の調査 3. 河西地区の新石器時代馬家窯文化の地域性と埋葬習俗の研究 |
調査機関 | 日本国側: 秋田県埋蔵文化財センター 中華人民共和国側: 甘粛省文物考古研究所、甘粛省博物館、武威市文物考古研究所 |
発掘調査の体制 | 秋田県側:櫻田 隆(文化財保護室主幹) 武藤祐浩(埋蔵文化財センター中央調査課) 加藤 竜(埋蔵文化財センター南調査課) 甘粛省側:王 輝 (甘粛省文物考古研究所 副所長) 趙雪野(甘粛省文物考古研究所 副研究員) 魏美麗(甘粛省文物考古研究所 試用職員) 盧国貨(甘粛省文物考古研究所 運転員) 王 琦 (甘粛省博物館弁公室 主任) 王 勇 (甘粛省博物館歴史部 副研究館員) 韓小豊(武威市文物考古研究所) |
調査開始。
平成15年度に行ったボーリング調査で新石器時代の遺構があることが分かった I 区。
10メートル四方のグリッドを設定し、掘り進めていきました。
次々と発見される彩陶土器や人骨も残っている新石器時代の墓。
この場所は、今から約4000年前の墓地だったようです。
調査の様子を見に遺跡を訪れた
近隣農村の子供達。
地面にすっぽりと埋めたれた
美しい彩陶土器。
何のために埋められたものか、
中から人骨が発見される事が稀であるため、
いまだ定説はありません。
世間話をしながら、
調査に精を出す現地作業員。
土坑墓には人骨がきれいに残っていました。日本と違った乾燥気候のなせる業です。
写真の人骨の額には赤い色の顔料が付いていました。埋葬する際の風習の一つと考えられます。
この墓には頭の近くに土器2つが副葬されているほか、細石刃(組み合わせてナイフのように用いる小さな石器)も出土しています。
休憩のひと時
若者に簡単な日本語を教えると喜んで連発します。「口・口」「鼻・鼻」「お尻・お尻」・・・
二つの土坑墓が重なりあって見つかった様子です。
人骨は埋葬された元の位置から動かされ、全体が揃っていないものも多数。(このページ一番上の写真でも、骨の並び方がおかしなところがあったのに気づきましたか?)どうやら、埋葬後に取り出されて他の場所に移されたようです。
このお墓にも彩陶土器が副葬されていました。
磨嘴子遺跡は乾燥地帯にあり、日本では見慣れない生物に出くわすことも。
右の写真にも1匹!
この小さなサソリは調査員に捕獲されました。
調査も終盤。
高所作業車に乗り込み、遺跡全体写真の撮影開始です。
一体どんな光景が…!?
調査区I区を上空から見た様子です。
新石器時代の墓のほとんどは、頭を南(画面左下)に向けて埋葬されています。
脆くなっている土器には、現場で保存処理を施してから取り上げます。
検出した遺構の実測作業を進めます。
急げ急げ。
I区の調査を終えて、現場で祝宴。
栓抜きの用意を忘れましたが問題なし!
歯がとても丈夫です…。
I区の調査担当者と地元作業員さんの面々。
皆さん、お疲れ様でした。
II区の調査風景。
ここでは斜面地とその麓の平坦地に作られた漢代の墓を対象に調査を行いました。
漢代の土洞墓と呼ばれる地下式の墳墓を調査しています。
土洞墓は地上からスロープで墓室への向かう通路である『墓道』と、棺を納めるために地下に設けられた横穴である『墓室』、墓室の入り口を塞ぐ『封門』からなります。
右の写真は墓道を掘り下げている様子です。
墓室内部の様子です。
この墓室は天井の中央が高く作られていて、家のような形をしています。
左側の赤く縁取られた棺には男性が、右側の黒く縁取られた棺には女性が葬られていました。おそらく夫婦なのでしょう。
棺の上に置かれていた籠は残りが良く、つい昨日まで使われていたような生々しさです。
この年は秋田県から文化交流事業協議団と観光団が訪れました。
周辺住民の集まる中、歓迎式典が行われました。
協議団と観光団の一行に、合同発掘調査で発見された遺構が公開されました。
このように、海外からの訪問団に調査中の遺跡が公開されることは珍しい事です。これも、これまでの交流の成果と言えます。
墓室も墓道も狭いので、順番に一人ずつの見学。
近隣の農村の人々も興味津々で見守ります。
いよいよ棺の内部の調査です。
埋葬された人骨が綺麗に保存されていました。
埋葬されてから約2000年が経過しているとは・・・
信じられません!
これは別のお墓です。
墓室の壁に木枠の痕跡が残っていました。
墓室を木枠で囲った「木槨墓(もっかくぼ)と呼ばれるものです。
漢代の古い時期に作られていたものですが、磨嘴子遺跡では初めての発見です。
II区の調査担当者と作業員全員で、木槨墓の中に入ってみました。
大人15人が入れるくらいの広さでした。
II区のみなさんもお疲れ様でした。
調査も無事終了。
遺物や機材をダンボールに詰め、遺跡を後にしました。
再見、磨嘴子遺跡!
また来年!
掘り出された遺物はこれから、蘭州市内での整理作業へはいります。