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阿仁六ヶ山「三枚鉱山」

画像:阿仁六ヶ山「三枚鉱山」

 北秋田市阿仁(あに)地区の「阿仁六ヶ山」と呼ばれる「小沢」「真木沢」「萱草」「三枚」「一ノ又」「二ノ又」、この6つの山に「大沢」「天狗平」「黒滝」「糠内」「深沢」を加えた11の山々を総称して「阿仁鉱山」と呼んでいます。

 阿仁鉱山は、延慶2年(1309年)、阿仁合の湯口内沢で炭焼きが偶然発見したと口碑で伝えられています。金山の開発後、銀、銅と続々と山の開発が進み、昭和53(1978)年に閉山するまで、670年もの間、日本の産業・文化を支えてきました。

 阿仁鉱山六ヶ山の一角を担う「三枚鉱山」が、北秋田市の上小様地域にあります。古くは金山として発見された後、寛文7年(1667年)には大阪屋彦兵衛が発見し、その後、大阪屋久左衛門の手代、七郎兵衛が経営し、本格的に銅山として開発されました。最盛期には120戸、1004人が住んでいた記録も残ります。

 鉱山開発を請け負う山師たちは、佐竹藩に運上(納税)として金を治めていました。「三枚」の名は、14日間で金3枚を運上したことが由来とも伝えられています。別名「轟(どどろ)鉱山」とも呼ばれ、間歩坑(まぶこう)と呼ばれる鉱脈を探すために掘った穴が今も無数に残っており、山中の道端には緑青をふいた、まだ銅を含んでいる鉱石を目にすることができます。
 
 三枚鉱山の山頂付近には、3体の地蔵菩薩が今も佇んでいます。石像の裏側には「安永三年」と文字が刻まれ、当時、四国讃岐からやって来た「田中善兵エ」という人物が設置したと考えられています。
 
 旧三枚小学校跡地から、小様川を挟んで向林集落に続く坂道には、御台所と呼ばれる役所の門が設置されていました。小学校跡地の裏山には、開山して200年以上経っていることを記念し、明治13年(1880年)8月14日に建立された「鉱業記念碑」が、今も残されています。
 
平成24(2012)年5月掲載
令和4(2022)年3月更新
■参考文献
『阿仁町史』
『鉱山と生活 伝承と出会い』戸嶋チエ著

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阿仁三枚鉱山・700年の歴史が眠る秋田を支えた銅山の現在(2011年7月掲載)