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幻の東山道

画像:幻の東山道

  「道」は、古代日本(飛鳥時代から平安時代にかけて)の中央政府が定めた「七畿五道」と呼ばれる行政による大きな地方の呼び方と、その地方を貫く街道の両方を指しています。東海道や北海道のように、現在も使われている言葉もあります。

   東山道とは、「とうざんどう」とも、「あずまのやまみち」とも読まれ、行政区としては現在の滋賀県から、岐阜県、長野県、栃木県、群馬県、埼玉県、そして東北六県を総称したエリアを指していました。
 幹線道路としての東山道は、滋賀県から宮城県仙台市を目指して整備されました。その後、岩手県を通って青森県を目指すルート、出羽国府であった秋田市を目指すルートがそれぞれ発達していったとされています。街道沿いには駅が置かれ、駅子と呼ばれる専門の人がつき、街道を走る伝令や国の役人の往来を支えていました。いわば古代の国道です。
 その後、佐竹氏が秋田に転封となり、羽州街道が整備され、主に使われる道路はほぼ現在の国道13号に沿ったルートになりました。とはいえ、その後も東山道は街道として活用されていたようです。しかし、残念ながら東山道が秋田県内をどう走っていたのか、正確なことはわかりません。
 
 ここ大屋地域では、東山道は昭和に入るまで現役で使用されていましたが、昭和29(1954)年の堤防かさ上げ工事より大屋沼の底に沈んでしまいました。
毎年11月に行われている沼干しによって、東山堂はその姿を現します。道が堤防のように盛りあげられているため、江戸時代(元和年間 1615~1623年)に大屋沼が作られたころに盛り土がされたのではないかと考えられています。沼の前後の古道もよく残っており、散策することにより平安以前からの旧街道を歩くロマンに浸ることができます。
平成25(2013)年8月掲載
令和4(2022)年3月更新
 
■参考文献
『横手市史 昭和編』横手市
『東北の街道 道の文化史いまむかし』渡辺信夫 監修
『羽州街道の変遷(牛島から 雄勝峠まで)』斎藤實則
『古代東北史の基本的研究』新野直吉
『横手平鹿総合郷土史』横手平鹿総合郷土史刊行会