払田柵跡は、秋田県で最初の国史跡に指定された城柵遺跡です。
多賀城跡(宮城県多賀城市)・秋田城跡(秋田市)等と並び称される規模と威容を誇りますが、文献に記録がなく、当時どのような名称で呼ばれていたのかさえいまだに明らかではありません。
「払田柵跡」という遺跡名は、「払田」という地名と、遺跡の最も外側の区画施設「外柵」が柵木列(材木塀)であることから名づけられました。
発掘調査の成果により、遺跡は9世紀初頭の平安時代に創建され、終末は10世紀後半とみられています。
払田柵跡は、秋田県の南東部にある横手盆地北部の、大仙市払田と美郷町本堂城回に所在します。
横手盆地は東西約15km、南北約60kmの広さで、東側に奥羽山脈がそびえ、その山麓には扇状地が発達します。
雄物川が盆地を南北に貫通し、秋田平野に出て日本海に注いでいます。
払田柵跡はJR奥羽本線大曲駅より東へ約6kmの位置にあり、珪質頁岩を基盤とする標高54mの長森、65mの真山と呼ばれる低い丘陵を中心とした低地に立地します。
北側に矢島川(烏川)、南側に丸子川が流れ、この二つの川に挟まれた、広い平野に浮かぶ小島のような小さな丘陵を選地しています。
払田柵跡は、3つの「柵(塀)」によって囲まれているのが特徴です。
遺跡全体を囲んでいたのが「外柵」です。
角材をすきまなく並べた材木塀で、長森・真山を大きく囲んでいました。
東西南北の四方に門を構えています。
東西1,370m、南北780mを囲む外柵の総延長は約3,600m、外柵内の面積は、約878,000㎡。
外柵南門は他の律令国家施設と同様、表門と見なされます。
蛇行する河川と交わる箇所では、柵が造られずに開口していたようです。
外柵は建て替えられた形跡がなく、創建時のみの造営となります。
長森だけを囲んでいたのが「外郭線」です。
地盤の堅固な丘陵裾部には土を突き固めた築地塀、軟弱な低地には材木塀が築かれ、連続して外郭線を形成していました。
東西765m、南北320mの楕円形で、面積約163,000㎡、外郭線の延長は約1,760m。
外柵と同様に東西南北の四方に門を構え、正面となる南門の両脇には大きな石を積み上げた石塁が組まれていました。石塁は、東北の古代城柵の中でも払田柵跡だけに造られたものです。
長森の中央には、国府や城柵など役所の中心だった「政庁」があります。
儀式や政務などが行われた重要な場所です。
政庁も板塀によって方形または長方形に区画され、中には南面廂付きの立派な正殿と東西の脇殿が広場を囲むように「コ」の字形に配置されていました。
このような役所の建物配置は、京都の平安宮の配置にならったもので、天皇を中心とする律令国家の威信を表したものといえます。
主要建物の変遷は5時期に区分されます。
遺跡全体を囲んでいたのが「外柵」です。
角材をすきまなく並べた材木塀で、長森・真山を大きく囲んでいました。
東西南北の四方に門を構えています。
東西1,370m、南北780mを囲む外柵の総延長は約3,600m、外柵内の面積は、約878,000㎡。
外柵南門は他の律令国家施設と同様、表門と見なされます。
蛇行する河川と交わる箇所では、柵が造られずに開口していたようです。
外柵は建て替えられた形跡がなく、創建時のみの造営となります。
長森だけを囲んでいたのが「外郭線」です。
地盤の堅固な丘陵裾部には土を突き固めた築地塀、軟弱な低地には材木塀が築かれ、連続して外郭線を形成していました。
東西765m、南北320mの楕円形で、面積約163,000㎡、外郭線の延長は約1,760m。
外柵と同様に東西南北の四方に門を構え、正面となる南門の両脇には大きな石を積み上げた石塁が組まれていました。石塁は、東北の古代城柵の中でも払田柵跡だけに造られたものです。
長森の中央には、国府や城柵など役所の中心だった「政庁」があります。
儀式や政務などが行われた重要な場所です。
政庁も板塀によって方形または長方形に区画され、中には南面廂付きの立派な正殿と東西の脇殿が広場を囲むように「コ」の字形に配置されていました。
このような役所の建物配置は、京都の平安宮の配置にならったもので、天皇を中心とする律令国家の威信を表したものといえます。
主要建物の変遷は5時期に区分されます。
外柵南門
外柵南門は他の律令国家施設と同様、表門と見なされます。
外郭南門と石塁
外郭南門の両脇には、威厳を誇示するかのように石垣(石塁)が積まれています。
政庁
石段を登り切ると、第三の区画施設である板塀と門が目の前に立ちはだかります。これが政庁に入るための最後の門(政庁南門)となります。
遺跡は現在、水田が約6割、山林・原野が約3割を占めています。
長森・真山の丘陵地はほとんどが公有地で、その裾部や低地内が宅地として利用されています。
美郷町と大仙市を結ぶ県道大曲田沢湖線が、外柵の南西部をかすめて東西に通っています。
政庁に立つと、南には平野の彼方に、標高2,237mの鳥海山をはじめとして山形県との境をなす山々を望み、東には岩手県と境界を画して連なる標高1000m級の奥羽山脈を間近に見ることができます。
発掘調査の成果に基づいて史跡の保存整備がされ、活用が図られています。
現在は、長森を囲む外郭域全体・南北大路周辺の外柵域を散策することができるようになっていおり、ガイダンス施設として「大仙市払田柵総合案内所」も公開されています。
真山には多くの桜が植樹されて、例年ゴールデンウィーク頃が見頃となります。
頂上には高梨神社が鎮座し、南麓に国指定名勝旧池田氏庭園を構成する払田分家庭園があります。
旧池田氏庭園も公有化され、毎年11月上旬ころになると、もみじ、ナラ、ドウダンなどの木々が見事な紅葉が見られます。
真山は中世に城館として利用されており、その縄張りの痕跡も地表から見ることができます。
真山の桜
高梨神社
旧池田氏払田分家庭園の紅葉
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