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秋田県内文字資料出土遺跡一覧

更新日 2019.4.1

  • 本集成は、墨や朱・うるしへら状工具等により記された土器・陶器・磁器・瓦・漆器しっき・石器・紙・木製品等の遺物、いわゆる墨書ぼくしょ土器どき木簡もっかん漆紙うるしがみ文書もんじょの類が出土した遺跡を一覧したものである。ここには印章や刻印(スタンプ)瓦、焼印も含む(ただし金石文・経石を除く)。
  • 対象時期は、古代から近世までとする。特に中世以降は遺漏が多いと思われるので、誤記の指摘と共に、情報の提供をお願いしたい。
  • なお“箆書へらがき”と“刻書こくしょ”については、前者は土器等の製作時に記された、いわば焼成前の記銘であり、後者は焼成後の記銘と区別している。これは前者が工人などの生産者が記し、後者は消費地に入ってから使用者が記した可能性が高い。ただし、呼称名は別として両者を区別して報告される事例は少なく、明らかに焼成後の記銘であることを作成者(高橋学)が確認できたものについて、“刻書”の項目に入れ、確認できないものは全て“箆書”の項目に収めている。

【注】

No. 所収文献
1 県教委1983 「一本杉遺跡」『東北縦貫自動車道発掘調査報告書Ⅵ』 秋文調報99
2 鹿角市教委1979『小平遺跡発掘調査報告書』 鹿角市文調資10
3 県教委1982「歌内遺跡」『東北縦貫自動車道発掘調査報告書Ⅱ』 秋文調報88
4 県教委1983「案内Ⅲ遺跡」『東北縦貫自動車道発掘調査報告書Ⅵ』 秋文調報99
5 県教委1984「下乳牛遺跡」『東北縦貫自動車道発掘調査報告書ⅩⅠ』 秋文調報119
6 藤井安正1983「鹿角市中花輪遺跡出土の刻文絵画土器」『考古風土記』8
7 県教委1982「上葛岡Ⅳ遺跡」『東北縦貫自動車道発掘調査報告書Ⅴ』 秋文調報91
8 十和田高校社会科同好会1974「神田遺跡」『山脈』22
9 県教委1987「堪忍沢遺跡」『西山地区農免農道整備事業に係る埋蔵文化財発掘地区報告書Ⅰ』秋文調報152
10 県教委1989「太田谷地館跡第2次」『西山地区農免農道整備事業に係る埋蔵文化財発掘地区報告書Ⅴ』 秋文調報183
11 県教委1989「用野目川向Ⅲ遺跡」『西山地区農免農道整備事業に係る埋蔵文化財発掘地区報告書Ⅳ』 秋文調報182
12 県教委2003『柴内館跡』 秋文調報355
13 大館市1979『大館市史』第1巻
14 大館市教委『大館市山王台遺跡発掘調査報告書』
15 報告書未刊、大館市教委で調査、資料の一部は大館郷土博物館に展示中
16 県教委2008『釈迦内中台Ⅰ遺跡』秋文調報426
17 比内町教委1978『谷地中「館」遺跡発掘調査報告書』
18 比内町教委1973『真舘緊急調査報告書』
19 県教委1970『胡桃館埋没建物遺跡第3次発掘調査報告書』 秋文調報22
20a 山本崇・高橋学2005「鷹巣町胡桃館遺跡の木簡」『秋田埋文研究紀要』19
20b 山本崇・高橋学2006「胡桃館遺跡出土木簡の再釈読について」『秋田埋文研究紀要』20
21 県教委1999『伊勢堂岱遺跡』 秋文調報293
22 県教委1998『法泉坊沢Ⅱ遺跡』 秋文調報278
23 県教委1980『中田面遺跡発掘調査報告書』 秋文調報74
24 県教委1998『湯ノ沢岱遺跡』 秋文調報273
25 能代市教委1978『大館遺跡発掘調査報告書』
26 県教委2007『鴨巣館跡・鴨巣Ⅰ遺跡・鴨巣Ⅱ遺跡』秋文調報422
27 県教委1983『真壁地遺跡』 秋文調報102
28 県教委1984『上の山Ⅱ遺跡発掘調査報告書』 秋文調報114
29 県教委1980『中田面遺跡・重兵衛台Ⅰ・Ⅱ遺跡・根洗場遺跡発掘調査報告書』 秋文調報74
30 県教委1989「福田遺跡」『一般国道7号八竜能代道路建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅱ』 秋文調報178
31 県教委1989「十二林遺跡」『一般国道7号八竜能代道路建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅱ』 秋文調報178
32a 能代市教委1996『小友Ⅲ遺跡』
32b 高橋学2000「米代川下流域にも擦文土器あり-能代市小友Ⅲ遺跡にみる古代集落の一様相-」『阿部正光君追悼集』
33 小林喜兵1995「トドメキⅠ・Ⅱ遺跡」『能代市史資料編考古』
34 小林喜兵1995「南山ノ上遺跡」『能代市史資料編考古』
35 県教委2006『樋口遺跡』 秋文調報411
36 県教委2005『ムサ岱遺跡』 秋文調報396
37 県教委2000『館の上遺跡』 秋文調報298
38 県教委1999『扇田谷地遺跡』 秋文調報283
39 県教委1998『泉沢中台遺跡』 秋文調報276
40a 県教委2001『盤若台遺跡』 秋文調報319
40b 宇田川浩一2002「秋田・盤若台遺跡」『木簡研究』24
41 県教委2004『小林遺跡Ⅱ』 秋文調報376
42a 三嶋隆儀・庄内昭男1987「 男鹿市小谷地遺跡の墨書土器」『秋田県博研究報告』12
42b 磯村朝次郎1961「脇本飯森家屋埋没遺址調査概報」『秋田考古学』18
42c 県教委1965『脇本埋没家屋第一次調査概報』 秋文調報5
42d 県教委1966『脇本埋没家屋第二次調査概報』 秋文調報6
42e 県教委1967『脇本埋没家屋第三次調査概報』 秋文調報11
43a 男鹿市教委2005『脇本城跡』男鹿市文調報29
43b 竹内弘和2005「秋田・脇本城跡」『木簡研究』27
43c 工藤直子2006「城館研究の方法-脇本城跡の調査から-」『遺跡研究の方法』東北中世考古学会
44 目黒明彦1979「男鹿市脇本大倉遺跡採集の線刻土師器片」『男鹿半島研究』9
45 男鹿市教委1998『脇本石館遺跡詳細分布調査報告』 男鹿市文調報17
46 磯村朝次郎1973「秋田県沿岸における土器製塩に関する予察」『男鹿半島研究』2
47 県教委1982『蒲沼遺跡発掘調査報告書』 秋文調報96
48a 五城目町教委1975『石崎遺跡発掘調査報告 第1~3回合報』
48b 門間光夫1968「推定古代郡衙址「石崎遺跡」の調査概報」『 秋大史学』15
49 県教委2001『中谷地遺跡』 秋文調報316
50a 県教委2001『北遺跡』 秋文調報315
50b 加藤竜2002「秋田・北遺跡」『木簡研究』24
51 五城目町教委2002『開坊遺跡』 五城目町埋文調報8
52 高橋学1986「秋田県内出土の墨書土器集成」『秋田埋文研究紀要』1
53a 県教委2000『洲崎遺跡』 秋文調報303
53b 工藤直子1999「秋田・洲崎遺跡」『木簡研究』21
53c 工藤直子・高橋学2000「秋田・洲崎遺跡」『木簡研究』22
54 県教委2003『西野遺跡』 秋文調報360
55 県教委2000『元木山根Ⅱ遺跡・毘沙門遺跡・六ッ鹿沢遺跡』 秋文調報309
56 県教委2003『元木山根Ⅱ遺跡』 秋文調報362
57 秋田市教委1973~『秋田城跡発掘調査概報』(毎年概報・年報刊行)、墨書等の点数は2004年度末(84次)までの集計
木簡・漆紙文書の点数は、秋田城跡調査事務所・伊藤武士氏の教授による(061109)
58 上法香苗1957「秋田市下新城の古代窯址群について」『秋田考古学』8
59 内田武志・宮本常一1973『菅江真澄全集』9(菅江真澄1822『新古祝甕品類之図』)
60 奈良修介1960「歴史時代」『秋田県史考古編』
61 岩見誠夫1967「高野出土の墨書土器」『秋田考古学』26
62 秋田市教委1979『後城遺跡発掘調査報告書』
63 秋田市教委1985「深田沢遺跡」『秋田臨空港新都市開発関係埋蔵文化財発掘調査報告書』
64 県教委1995「古野遺跡」『東北横断自動車道秋田線発掘調査報告書ⅩⅨ』 秋文調報253
65 秋田市教委1983「湯ノ沢B遺跡」『秋田臨空港新都市開発関係埋蔵文化財発掘調査報告書』
66 秋田市教委1984「湯ノ沢F遺跡」『秋田臨空港新都市開発関係埋蔵文化財発掘調査報告書』
67 秋田市教委1987「下堤C遺跡」『秋田新都市開発整備事業関係埋蔵文化財発掘調査報告書』
68 秋田市教委1993「地蔵田A遺跡」『秋田新都市開発整備事業関係埋蔵文化財発掘調査報告書』
69 高橋学1995「秋田県内出土の墨書土器、箆書・刻書土器」『秋田埋文研究紀要』10
70 秋田市史編纂室1997『古城廻窯跡発掘調査報告書』
71 県教委1992『山崎遺跡発掘調査報告書』 秋文調報223
72 県教委1996「片野Ⅰ遺跡」『秋田外環状道路建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅳ』 秋文調報265
73 船木義勝・泉広宣1993「秋田市松木台Ⅱ遺跡の須恵器」『 秋田県博研究報告』18
74 県教委1992「待入Ⅲ遺跡」『秋田外環状道路建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書Ⅱ』 秋文調報224
75 県教委2001『大平遺跡』 秋文調報329
76 県教委2002『諏訪遺跡』 秋文調報328
77 奈良修介1967「有史文化」『秋田県の考古学』吉川弘文館
78 秋田市教委2001『手形山南遺跡』
79 秋田市教委 2002『秋田市長岡遺跡』
80a 秋田市教委2002『藩校明徳館跡』
80b 県教委2006『久保田城跡・藩校明徳館跡』秋文調報412
80c 伊藤武士2003「秋田・藩校明徳館跡」『木簡研究』25
81a 県教委2005『東根小屋町遺跡』秋文調報387
81b 高橋学・五十嵐一治2005「秋田・東根小屋町遺跡」『木簡研究』27
81c 桶組の井戸(SE5046)側板に「下の墨書があることが判明、未報告(2008.5.9)
82 県教委2006『久保田城跡・藩校明徳館跡』秋文調報412
83 県教委2008『古川堀反町遺跡』秋文調報435
84 県教委1986「松木台Ⅲ遺跡」『東北横断自動車道秋田線発掘調査報告書Ⅰ』 秋文調報150
85 県教委1986『上雨堤遺跡発掘調査報告書』 秋文調報149
86 南外村教委1992『平成3年度仙北郡南外村大畑・桧山腰窯跡発掘調査報告書』
87 内田武志・宮本常一1978「月の出羽路」『菅江真澄全集』7(仙北郡6)
88 県教委1975~『払田柵跡調査事務所年報』(毎年刊行)、2007年度末(第135次)までの集計
89 1996~98年に仙北町教委が行った発掘調査で出土。未報告。仙北町教委1999『星宮遺跡』仙北町文調報3
90 県教委1981『内村遺跡発掘調査報告書』 秋文調報82
91a 県教委2005『厨川谷地遺跡』 秋文調報383
91b 五十嵐一治 2004「厨川谷地遺跡出土の文字資料と祭祀について-墨書土器を中心に-」『 第2回東北文字研資料』
91c 五十嵐一治2005「秋田・厨川谷地遺跡」『木簡研究』27
92 美郷町教委2005「下中村遺跡」「飛沢尻遺跡」『町内遺跡詳細分布調査報告書』美郷町埋文調報1
93 美郷町教委2006『八幡遺跡』美郷町埋文調報2
94 県教委2005『中屋敷Ⅱ遺跡』秋文調報384
95 高橋健治1974「藤木墨書土器の出土状況報告書」『秋田民報』
96 県教委1981『藤木遺跡発掘調査報告書』 秋文調報81
97 横手高校保管、未実測、未報告
98 未報告、実測図は払田柵跡調査事務所に保管
99 県教委1976『成沢遺跡発掘調査報告書』 秋文調報36
100 高橋学2004「大曲市和合出土の墨書土器-使用痕跡にも着目して-」『 秋田埋文研究紀要』18
101a 県教委1984『石名館遺跡発掘調査報告書』 秋文調報112
101b 冨樫泰時1985『日本の古代遺跡24 秋田』 保育社
102 六郷町1992『六郷町史』上巻
103 秋田考古学協会1973『中藤根遺跡』
104 県教委1976『下藤根遺跡発掘調査報告書』 秋文調報39
105 県教委1991「竹原窯跡」『東北横断自動車道秋田線発掘調査報告書ⅩⅠ』 秋文調報209
106 横手市教委2006『砂子田遺跡』横手市文調報1
107 県教委 2001『江原嶋1遺跡』 秋文調報310
108 報告書未刊、旧仙南村教委(美郷町)で調査
109 県教委1991「上猪岡遺跡」『東北横断自動車道秋田線発掘調査報告書Ⅹ』 秋文調報208
110 県教委1992「富ケ沢A窯跡」『秋田ふるさと村(仮称)建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書』 秋文調報220
111 県教委1992「富ケ沢B窯跡」『秋田ふるさと村(仮称)建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書』 秋文調報220
112 県教委1992「富ケ沢C窯跡」『秋田ふるさと村(仮称)建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書』 秋文調報220
113 県教委1992「田久保下遺跡」『秋田ふるさと村(仮称)建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書』 秋文調報220
114a 横手市教委2003『横手市内遺跡発掘調査報告書』 横手市埋文調報29
114b 横手市教委2005『オホン清水A遺跡第Ⅳ・Ⅴ次』 横手市埋文調報32
115a 県教委1990「手取清水遺跡」『東北横断自動車道秋田線発掘調査報告書Ⅴ』 秋文調報190
115b 山崎文幸1988「秋田・手取清水遺跡」『木簡研究』10
116 横手市教委1978『大鳥井山Ⅰ』
117 杉渕馨1981「物見窯跡について」『秋田地方史論集』みしま書房
118 県教委2000『十二牲B遺跡』 秋文調報304
119a 高橋学 2002「秋田・十二牲B遺跡」『木簡研究』24
119b 高橋学・熊田亮介2006「出土文字資料」『横手市史』史料編 古代・中世
120 県教委2003『前通遺跡』 秋文調報351
121a 県教委2001『観音寺廃寺跡』 秋文調報321
121b 五十嵐一治2002「秋田・観音寺廃寺」『木簡研究』24
122 奈良修介1958「沼館出土の土師器盤」『秋田考古学』9
123 雄物川町1980『雄物川町郷土史』
124a 県教委2004『大見内遺跡』 秋文調報374
124b 県教委2005『大見内遺跡・館野遺跡』 秋文調報386
125 雄物川町教委2004『八卦遺跡』 雄物川町文調報5
126 雄物川町教委2005「中村Ⅰ遺跡」『遺跡詳細分布調査報告書』 雄物川町文調報9
127 雄物川町教委2005『水尻遺跡・柄内遺跡』 雄物川町文調報8
128 県教委1964『羽後町足田遺跡発掘調査概報』秋文調報3
129a 羽後町教委1989『柏原古墳群発掘調査報告書』
129b 羽後町教委1993「柏原古墳群」『福島遺跡ほか発掘調査報告書』
130 山下孫継1961『湯沢市雄勝郡の埋蔵文化財』湯沢市教委
131 稲川町教委1987『稲庭城跡発掘調査報告書』
132a 冨樫泰時・児玉準1992「本荘市上谷地遺跡について-由理柵推定地の調査-」『秋田埋文研究紀要』7
132b 本荘市教委1995『上谷地遺跡詳細分布調査報告書-第1次調査概報-』 本荘市文調報10
132c 本荘市教委1996『上谷地遺跡詳細分布調査報告書-第2次調査』 本荘市文調報11
133a 本荘市教委2003『 上谷地遺跡・新谷地遺跡』 本荘市文調報19
133b 長谷川潤一2004「秋田・新谷地遺跡」『木簡研究』26
133c 県教委2005『上谷地遺跡 新谷地遺跡』 秋文調報395
134 報告書未刊、(旧)本荘市教委で調査、整理中、点数は長谷川潤一氏による(061110)
135 県教委 2003『横山遺跡』 秋文調報363
136 県教委『岩倉館跡』秋文調報423
137 長谷川潤一2002「秋田・本荘城跡」『木簡研究』24
138a 高橋学1990「 西目町井岡遺跡で採集された遺物について」『秋田考古学』40
138b 池田正治・高橋学1987「 由利郡西目町で採集された墨書土器-土の下の歴史を索めて-」『秋田考古学』39
139 西目町教委1994『 猿田遺跡-遺構確認調査報告書-』
140 東由利町教委1994『 宮ノ前遺跡発掘調査概報』
141 矢島町教委2005『秋田県由利郡矢島町埋蔵文化財詳細分布報告書』 矢島町文調報2
142a 県教委2004『龍門寺茶畑遺跡』秋文調報373
142b 高橋学2004「秋田・龍門寺茶畑遺跡」『木簡研究』26
143 仁賀保町教委1986『下岩ノ沢遺跡発掘調査報告書』
144 仁賀保町教委1987『立沢遺跡発掘調査報告書』
145 県教委1986『カウヤ遺跡第2次発掘調査報告書』秋文調報135
146 山崎文幸2004「秋田・観音堂遺跡」『木簡研究』26
147 島田祐悦2005「横手盆地の奈良期における須恵器編年-末館窯跡の再検討-」『秋田考古学』49
148 雄物川町教委2004『耳取遺跡 釘貫遺跡』雄物川町文調報6
149 男鹿市・泉明氏採集(1980年11月16日)
150 実測図は払田柵跡調査事務所に保管、成沢遺跡の調査地点とは異なるか(要再調査)
151 県教委2008『地蔵岱遺跡』秋文調報434
152 県教委2008『狼穴Ⅲ遺跡』秋文調報427
153 横手市教委2007『会塚田中B遺跡』横手市文調報7
154 美郷町教委2007『根子荒田Ⅰ遺跡』美郷町埋文調報4
155 県教委2007『布田谷地遺跡』秋文調報433
156 県教委2007『樋ノ口遺跡・荢種坂Ⅲ遺跡』秋文調報424
157a 県教委1972『昭和46年度金沢柵跡発掘調査概報』秋文調報25
157b 高橋学2007「金沢城跡」『横手市史 資料編 考古』
158a 美郷町教委2007『本堂城跡』美郷町埋文調報5
158b 山形博康2006「秋田・本堂城跡」『木簡研究』28
159a 秋田市教委2007『湊城跡』(平成17年度調査区)
159b 秋田市教委2008『湊城跡』(平成18年度調査区)
160 県教委2008『脇本遺跡』秋文調報437
161 美郷町教委2008『城方小屋遺跡 森崎Ⅱ遺跡』美郷町埋文調報6
162 美郷町教委2008『町内遺跡詳細分布調査報告書』美郷町埋文調報7
163 大仙市教委から情報提供
164 男鹿市教委で遺物保管中
165 秋田埋文が2007年に調査、整理中
166 横手市教委2008『樋向遺跡・石塚Ⅰ遺跡』横手市文調報10
167 高橋一夫1965「羽白目遺跡出土の布目瓦について」『秋田考古学』25
168 秋田市教委2003「久保田城跡」『秋田市市内遺跡確認調査報告書』
169 冨樫泰時1991「本荘市川口発見の銅印について」『鶴舞』62
170 現所在:京都国立博物館/国立民俗博物館1996『日本古代印集成』

問い合わせ先
秋田県教育庁払田柵跡調査事務所
〒014-0802 秋田県大仙市払田字牛嶋20
TEL:0187-69-2442  FAX:0187-69-3330
mail : hotta-no-saku@mail2.pref.akita.jp

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