昭和59年からの第3次5年計画では、10年間の成果を踏まえ、環境整備事業や小規模な現状変更届出等に対処することも考慮して、次のような基本計画が打ち出された。
この5年間では、外郭南門には3回の建て替えがあることや、門の西側に残る石塁が調査され、整地層からは古代のロープが出土した。
東側石塁の石は残存していなかったが、築地土塀の基礎地業と柱穴のあり方から、その位置を想定することができた。
石塁付近の整地層から出土したロープ
政庁北側の斜面には多くの竪穴住居が作られていることも判明した。
また、外郭北門・南門と同じく東門も外郭線の内側に八の字形に入り込む構造となっていることもわかった。
ハンドボーリングによる遺構確認調査が外柵南部から開始され、長森丘陵の微地形測量も始まった。
ハンドボーリングによる遺構確認調査
外柵東部での緊急調査では、良好な状態の材木塀が検出され、年輪年代測定の結果、外柵の創建年代は西暦801年頃であることが明らかとなった。
なお、政庁跡の正報告書は昭和59年度に刊行された。
この5年間における発掘調査面積は6,696㎡、事業費70,000,000円であった。