遺跡の概要・調査成果

調査成果 外郭の様子

外郭線の東西南北4箇所に門が設けられている。
外柵の門と同じように、12本の柱をもつ掘立柱式の門で、北門のみが低地にあり、他は丘陵部にあっていずれも3回の建て替えがある。

外柵の門と異なるのは、建て替えがあることのほか、外郭線の内側に八の字形に入り込む位置に設置されるという点である。
この八の字部分は門の前面の隅の柱に取り付き、南門のみが石塁、他は材木塀で造られる。
したがって、築地土塀は門に直接には取り付かない構造となる。
この八の字構造は、多賀城跡の東門と西門が、築地土塀が内側にコの字形に折れ曲がって、奥まった所に造られていることと一脈通じるものがあるのではなかろうか。

調査事務所が昭和49年に開設され、最初に手がけた調査が外郭北門の調査であった。

この北門だけが地盤の軟弱な低地にあるので、造営にあたっては泥炭層の上に盛土して整地を施している。
そして、柱穴の中には廃材が多量に埋め込まれているほか、門の西には、倒れた門柱と考えられる直径60㎝の丸太が3本並んで検出された。
門に取り付く角材には刻字のあるものも発見されている。

この時の調査では1回の建て替えとされたが、再調査の結果、他の3門と同様に3回の建て替えがあることがわかった。

外郭西門

外郭西門

4つの門は、規模・構造の上では共通性を備えているが、外郭西門は少し違った趣がある。

それは、門の正面の斜面が古代において掘削されていること、門を入るとすぐに、歩行が困難なほどの急勾配であること、門の基壇面も傾斜していると考えられること、門からの眺望は真山に遮られて極めて良くないことなどから、門としての機能はなかったのではないか、と考えられるのである。

逆に、そうした状態でも機能していたと考えるならば、門の正面には木製の階段が不可欠であるし、門内に入ってすぐに南東方向にある傾斜面を通行したと推定される。

外郭西門

外郭西門

外郭西門

外郭西門
柱堀形の断面

外郭南門は払田柵跡の中枢施設である政庁への正面玄関である。
それ故、門の前には石段があるほか、八の字部分は石垣になっていて、石塁の名で呼ばれている。

石塁は延長19.5mで、外郭南門の南側の隅柱から弧を描いている。

西側の石塁は基底幅約3.4~3.6m、現高1.2mで、長森の岩盤である硬質泥岩を、堅固な基礎整地の上に積み重ねたものである。
その基底部には一辺120㎝四方、厚さ50~70㎝の石を並べ、内部を土石混築とし、石塁外面を意図的に揃えている。
基底部を除いて上部の石は崩落しているが、復元すると地上高2.5~2.7m以上はあったと推定される。

東側の石塁は、かつて宅地があったり、庭石として運搬されたので残存しないが、基礎整地層や柱列の位置から、その位置を推定することができた。

石塁は外郭正面の意匠を意図した、左右対称の堂々たる石垣であったのである。
外郭南門は高さ3.4mの柱が建てられ、石段と石塁は現在復元表示されている。

外郭南門と石段

外郭南門と石段

  • 西側石塁

    西側石塁

  • 崩落した石塁の石

    崩落した石塁の石

  • 石塁基底部の石

    石塁基底部の石

  • 石塁の断面

    石塁の断面

  • 整地層の下に検出された廃材

    整地層の下に検出された廃材

  • 整備された石塁

    整備された石塁