遺跡の概要・調査成果

調査成果 外郭の様子

政庁跡北部斜面

政庁の北部斜面には、約20軒の竪穴住居跡が検出されている。
古いものでは政庁第Ⅰ期直前段階の8世紀末~9世紀初頭の年代から、9世紀末~10世紀後半以降の年代をもつものまである。

そのうちSI736とした竪穴住居跡は10世紀前半の住居で、床面を覆う炭化物層から、二面硯、鉄鏃、土師器杯、須恵器(長頸壷・小壷・皿・高台皿・大甕)のほか、多量の炭化種子が出土した。
種子は多くはアサで、他にアズキ、アワ、トチがあった。
この住居跡には食料・食器・文具・武具が揃っていたわけで、払田柵跡の運営に関わる役人や兵士の住居と見るべきあろう。

政庁の北部斜面からは、土器の小破片が多く出土した。
不要となった土器類を投棄したのであろう。
さらにその西にはホイド清水があって、低地にはそれに関連する建物の存在が予想されたが、遺構は全くなく、古代においては湿地状態となっていて、ほとんど利用されない空間となっていたらしい。

政庁北部の竪穴住居跡

政庁北部の竪穴住居跡

外郭の詳細