外柵南門と外郭南門の間には両者を結ぶ大路(南大路)があるはずであるが、その路面や側溝は検出されなかった。
しかし、河川跡を調査する過程で川の中に橋脚を検出することができた。
この橋と外郭南門付近の掘立柱建物との位置関係から、南大路の幅は12m以内と推定される。
橋脚
橋脚は、二つの門を直線で結んだ線よりもわずかに東の位置に計16本が見つかった。
直径45~50㎝のスギを用いた丸柱が川の中4箇所にあり、これが主たる橋脚である。
この4本の南北の間隔は7.15m、東西は3.3mで、4本を結ぶとややいびつな平行四辺形となる。
そのうち1本は下まで掘り下げ、残存長2.5m、川底の粘土層に約1m打ち込んだ杭であることを確認し、抜き上げて保存している。
太い主柱には、直径30㎝ほどの広葉樹による柱を添えている。
そのほか、2本あるいは3本単位の橋脚もあり、これらは橋全体を支える補助的な役割を持つものであろう。
橋桁、橋梁、橋板などの部材は出土しなかったが、護岸として使用したと考えられる矢板4枚が橋脚の北にある。
クリ材で、岸に沿って東西に並んでいる。
これらの矢板や橋脚から、当時の川幅は約9m、橋は長さ約17m、幅約3.3mと推定される。
川底に打ち込んだ橋脚
直径50㎝のスギを用いている
橋は二つの門を結ぶ線上にはこの他には造られていないことから、外柵南門が機能していた時期に造営されたものであろう。
外柵材木塀や門は9世紀初頭の創建であるので、この橋もそれと同時に造営されたと考えられる。
南大路は幅12m以内で、この橋を間にして、わずかにくの字に曲折して造られていた。
橋脚付近では、現地表から約80㎝下に火山灰が薄く水平に堆積しているほか、10世紀代の遺物を含む層が形成されている。
この火山灰が降下した年代は、遺物と火山灰の検出状況から10世紀の中でも古い段階と考えられ、このころになると、この位置での川の流れはなく、この橋も用いられていなかったことを示している。
復元された橋