遺跡内には、古代に降下した火山灰の堆積が見られる。
丘陵上では、竪穴住居跡や土坑の凹みなどに流れ込んで薄いレンズ状になって検出されたり、建物の柱穴の埋め土に混じっている場合がある。
低地においても、湿地状態の所や、周囲よりわずかに凹んだ場所には、広く、水平に堆積しているのが見られる。
水平堆積では2~5㎝ほどの厚さで、一枚のみであることが明確である。
遺構がこの火山灰が降下する前に作られたのか、あるいはその後に作られたものかを発掘調査で見極めることができれば、火山灰の存在は遺構や遺物の相互の新旧関係を把握するのに極めて有力な材料となる。
さらに、広範囲にわたる地域を覆った同一の火山灰であることがわかれば、異なる遺跡の新旧関係を明らかにすることもできるし、火山灰の降下年代がわかれば、考古学的調査にはさらに重要な指標ともなり得るのである。
遺跡内から火山灰を採取して、火山ガラス屈折率、重鉱物組成などの分析を行い、その噴出源を特定してもらうと、十和田湖を噴出源とする十和田a火山灰であるという。
この火山灰は、外郭東門・西門では最後の4回目の柱穴の埋め土に含まれているし、外郭線角材列に伴う櫓状建物の場合も同じである。
また、外郭南門南西地区の建物では、6期あるうちの最も古い時期の建物を除く柱穴に含まれていて、土器との関係から、10世紀前半の中でも古い段階に火山灰の降下があったと考えることができる。
『扶桑略記』の延喜15(915)年の記事に、「出羽国言上雨灰降高二寸‥‥」とあり、十和田a火山灰の降下をこの記事にあてはめる見解があるのだが、まだ確実にこれにあてはめて良いかは疑問である。
ただし、払田柵の火山灰をこの年代と考えても矛盾はしない。
横手盆地内では、複数の火山灰の降下があったと見なされる調査結果もあり、今後とも火山灰と遺構・遺物の関係を見極めていく必要がある。
Fig. 1 Index map. Distributions of the Baitoushan-Tomakomai (B-Tm) ash
and theTowada-A ash are after Machida and Arai (1992)