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久米岡集落出身の俳人「佐々木北涯」
佐々木北涯(ほくがい)(1866年~1918年)は、秋田県を代表する俳人です。
江戸時代の慶応2年(1866年)、鵜川地域の久米岡集落で生まれ、名は久之助と言います。祖父・父ともに俳諧の宗匠で、幼い時より俳句の手ほどきを... 歴史 地域の偉人 萱刈沢貝塚遺跡
三種町鵜川地域にある萱刈沢貝塚遺跡(かやかりざわかいづか)は、日本海沿岸に残る数少ない貝塚の1つで、縄文前期から中期の遺跡と考えられています。昭和48年(1973年)に秋田県文化財史跡に指定されました。
ヤマトシジ... 歴史 史跡 松源院と武田重左衛門
八峰町にある松源院の開山堂には、「武田菱」を飾った位牌が安置されています。祀られているのは武田重左衛門。甲斐武田氏の一門であり、本館城主であり、松源院の開基でもあると伝えられる戦国時代の武将です。
重左衛門の... 歴史 神社・寺 岩子小学校の歴史
-地域と子供たちを繋いだ「小さな大学校」-
昭和63(1988)年に新築された岩子小学校の白い校舎の壁面には、水沢川で川遊びを楽しむ人々が描かれた「岩子の詩」というタイルの大壁画があり、他にも星型の体育館、風見鶏タ... 歴史 地域の歴史 石川大火と天皇杯
昭和38年におきた峰浜村(現・八峰町)石川地域の「大火」を、住民の皆さんは「サンパチ」と呼びます。
大火が起きたのは、昭和38年4月15日の午後2時のことでした。全焼138戸、半焼75戸、家屋や農機具などを合わせ、2億365... 歴史 地域の歴史 竹原神社
八峰町石川地域の中心部から、県道63号線で南東に向かい、ひとつ谷を挟んで隣の丘陵地に入ると、広大な畑が広がっています。竹原神社は、その奥、静かな木立の中に佇んでいます。
天保元年(1829年)創建の竹原神社は、昭... 歴史 神社・寺 佐竹藩主の遊覧と佐藤家
標高100m余りの山あいにある秋田市鵜養(うやしない)地域。
今は自動車で気軽に岩見峡といった観光名所を楽しめるこの一帯ですが、江戸時代からも様々な人が訪れ、紀行家・菅江真澄や亀田藩主、また佐竹藩主に至っては何代... 歴史 地域の歴史 岩見神社
秋田市鵜養(うやしない)地域にある岩見神社の創立は、大同2年(807年)までさかのぼります。
伝承では、大同2年、平安時代の武官として知られる坂上田村麻呂は、当時の三大妖怪と恐れられた大獄丸(おおたけまる)の... 歴史 神社・寺 大漁祈願に御利益 安全寺の「アミダ様」
男鹿市安全寺(あんぜんじ)地域にあるお寺「十王堂(じゅうおうどう)」には古くから仏様が祀られています。その仏様が祀られているお堂は「阿弥陀(あみだ)堂」と呼ばれ、中には阿弥陀様、観音様、地蔵大士様の三尊像が祀... 歴史 伝統行事・イベント 地域の歴史 伝統行事 加茂青砂の「こだし」
男鹿市の中では加茂青砂(かもあおさ)地域のみで作られている「こだし」は、加茂青砂で「トジナ」と呼ぶ「アオツヅラフジ」という植物のツルを使って作るカゴのことを言います。
加茂青砂でこだし作りを受け継いでいるの... 歴史 文化 石仏龕(せきぶつがん)
男鹿市加茂青砂(かもあおさ)への入り口は急な坂道になっていますが、その坂の途中、墓地のあたりに、阿弥陀如来像が彫られた小さな石仏龕(せきぶつがん)が置かれています。
石仏龕は、四角い石の板に仏像などを浮き彫... 歴史 史跡 延命地蔵
かつて男鹿市加茂青砂(かもあおさ)地域は、加茂村と青砂村に分かれていました。「享保黒印高帳」によると、享保12年(1727)、加茂村は19軒、青砂村には11件の家があり、陸地の交通手段であったであろう馬は20頭居たと記されて... 歴史 史跡 加茂青砂と日本海中部沖地震
昭和58年5月26日、日本海沖を震源地とするマグニチュード7.7の巨大地震が発生しました。この地震は「日本海中部沖地震」と呼ばれ、長い歳月が経過した今でも、大きな被害を被った秋田県・青森県の方々のみならず、多くの人... 歴史 地域の歴史 安田海岸(鮪川層)
男鹿半島というのは観光資源豊かな場所としても知られますが、地質学の世界ではきわめて貴重な地域とされ、国内外から研究者や学生が多く訪れる場所でもあります。
ここ安田海岸(あんでんかいがん)は五里合地域の北にあ... 歴史 自然・施設 ビューポイント その他 力石(ちからいし)
江戸時代から昭和初期まで、全国各地で「力石」を用いた力くらべが行われていました。
昔はほとんどの労働を人力に頼るしかなく、必然的に個人の体力が必要とされていたため、この力くらべは、身体鍛錬が行われるとともに... 歴史 文化 安田海岸と鮪川層
男鹿半島というのは観光資源豊かな場所としても知られますが、地質学の世界ではきわめて貴重な地域とされ、国内外から研究者や学生が多く訪れる場所でもあります。
ここ安田海岸(あんでんかいがん)は五里合地域の北にあ... 歴史 自然・施設 ビューポイント その他 琴川のすげ笠
明治から昭和にかけて、琴川は男鹿半島唯一のすげ笠の産地でした。平成13(2001)年には「琴川のすげ笠」として男鹿市の無形文化財に指定されています。
琴川のすげ笠は集落内に自生しているすげを使用しています。すげを... 歴史 文化 琴川の歴史
琴川の近く、安田(あんでん)海岸には古く貴重な地層が露出する場所があります。地質学的な価値が高いため、時折学生たちが調査のために訪れるほか、化石を探す子どもたちの姿を見かけることもあります。
集落としての琴... 歴史 地域の歴史 南北朝時代の足跡「板碑」
男鹿市内には多くの「板碑」が残されています。板碑とは板状の供養塔のことですが、鎌倉時代に関東地方で石を使った板状の石塔が流行し、その後、石塔タイプの板碑が全国に広まりました。
男鹿中地域でも3カ所(山田、町田... 歴史 史跡 三ッ森窯跡
男鹿の貴重な窯跡 男鹿中地域にある三ッ森(みつもり)集落の三ッ森会館から、滝川を挟んで対岸にあるのが三ッ森窯跡です。三ッ森窯跡は男鹿市内における数少ない貴重な窯跡です。
江戸時代末期と推定される窯跡で、陶... 歴史 史跡 板碑
五城目町森山地域には2つの「板碑」が残っています。
板碑とは板状の供養塔のことですが、鎌倉時代に関東地方で石を使った板状の石塔が流行し、その後、石塔タイプの板碑が全国に広まりました。
森山地域の陽広寺にある... 歴史 史跡 野田郷倉(ごうくら)
五城目町森山地域の野田集落の八幡神社には、備蓄倉に使われていた「郷倉(ごうぐら)」が残されています。昭和10(1935)年に建築されたもので、五城目町で現存しているのは、この郷倉のみと言われています。農業の歴史を物... 歴史 地域の歴史 森林鉄道の歴史
五城目町杉沢地域は、江戸時代から秋田スギや木炭の一大生産地でした。昭和11(1936)年に秋田市仁別と五城目町の北ノ又を結ぶ森林鉄道がつながり、昭和16年には森林軌道北ノ又・杉沢線が開通。昭和46(1971)年に森林鉄道が... 歴史 地域の歴史 浅見内神明社
五城目町内川地域の浅見内集落には、奈良時代から伝わる神社があります。昔は「浅見内産土神社(あさみないうぶすなじんじゃ)」と呼ばれ親しまれていた、現在の「浅見内神明社」です。
浅見内集落の内川川に架かる「神明社... 歴史 神社・寺 内川ささらと内川こどもささら
五城目町内川地域には郷土芸能「内川ささら」と、その流れをくむ「内川こどもささら」が伝わっています。
古くから内川地域に伝わる「内川ささら」は、ささらと呼ばれる3匹の獅子による「獅子踊り」と「奴踊り」の2編成か... 歴史 地域の歴史 浅見内の彼岸花づくり
五城目町内川地域の浅見内集落では、春彼岸用の彼岸花づくりを行っています。昔から浅見内では3月下旬でも残雪が多いため、自分たちで花を作り、お墓へお供えしていました。この風習が今も続いており、浅見内の彼岸花は春彼岸... 歴史 文化 石崎遺跡
石崎遺跡は、西野地域のすぐ西側に広がる広大な遺跡です。現在は、五城目町指定の史跡として石崎地域の田んぼの真ん中に標柱があり、水路の壁面に出た遺跡の一部を見ることが出来ます。
昭和42年(1967年)から昭和48年... 歴史 史跡 中直根の歴史
新天地を求めて北に向かう人々は、鳥海山の青さに魅せられ、引き寄せられるのでしょうか。秀峰の歴史は、各地からの来訪者・修験者たちによって彩られています。往来のドラマが、大自然を舞台に繰り広げられてきました。
中直... 歴史 地域の歴史 延宝の農民騒動
農民たちの土地
由利本荘市笹子(じねご)地域を含む、旧矢島町・旧鳥海町一帯は戦国時代から江戸時代初期にかけて、戦乱、領地替えなど、支配者の交替が頻発します。江戸時代には、藩主が江戸定府(参勤交代せずに江戸で執... 歴史 地域の歴史 荒倉館
国道108号線沿いに、「荒倉館(あらくらだて)を望む」という標柱があります。そこから見る峻厳な山こそ、矢島の英雄「大井五郎満安(おおいごろうみつやす)」が最後に立てこもった「荒倉館」です。
『由利町史 改訂版』には... 歴史 自然・施設 ビューポイント 史跡検索結果