かつて男鹿市加茂青砂(かもあおさ)地域は、加茂村と青砂村に分かれていました。「享保黒印高帳」によると、享保12年(1727)、加茂村は19軒、青砂村には11件の家があり、陸地の交通手段であったであろう馬は20頭居たと記されています。その後、二つの村は明治9年(1876)に合併し、一つの地域となりました。 

 かつての村の境に、現在でも7尺(約210cm)もの延命地蔵が立っています。延命地蔵とは、新しく生まれた子どもを守り寿命を延ばすと言われるお地蔵様です。その昔、この延命地蔵が加茂の裏山にあったときは加茂の海でニシンが多く取れ、青砂のカンカネ洞の上に移したら青砂の海でニシンがたくさん取れたというのです。そこで村の境に持ってきたといわれています。
 
 男鹿市史によると、この大きな延命地蔵は、加茂と青砂の集落で争い、夜中に背負って持ち出す者もいたそうです。「持ち出した集落のほうのニシンが大漁になる」と言って、大きくて重い地蔵をよく動かしたものと、今でも住民の語り草になっています。
 
平成22(2010)年8月掲載

こちらの記事もおすすめです

加茂青砂から眺める夕日

 険しい山に沿って半月状に続く加茂青砂の海岸。ここ加茂青砂の海岸にも、カラフルな姿をしたウミウシや可憐な花を咲かせるサンゴなどの、様々な磯の生き物が姿を見せます。夏には、岩場にテントを張りバーベキューや、磯遊び...

自然・施設

ビューポイント

かもあおさ笑楽校

   平成13(2001)年3月に閉校した加茂青砂小学校の名残を惜しむ形で、元父母会メンバーを中心に翌年夏、集落の住民が「講師」になって、ロープ結びや島巡り、地域の歴史などの「体験教室」を初めて開催しました。それが「かもあおさ笑...

伝統行事・イベント

地域活動

イベント

加茂青砂と日本海中部沖地震

 昭和58年5月26日、日本海沖を震源地とするマグニチュード7.7の巨大地震が発生しました。この地震は「日本海中部沖地震」と呼ばれ、長い歳月が経過した今でも、大きな被害を被った秋田県・青森県の方々のみならず、多くの人...

歴史

地域の歴史