漆紙文書とは、役人が使った文書のうち、不要となったものが漆塗り工房に払い下げられて、漆の液体を入れた容器のフタ紙として再利用され、紙に漆が染み込むことによって今日まで土中に腐らずに残ったものをいう。
払田柵跡では平成4年9月・第93次調査において、外柵低地の泥の中から見つかったのが最初であった。
その後、平成28年の第151次調査では、大路西側建物のさらに西側から出土し、計7点となった。
肉眼ではほとんど文字が見えないが、赤外線を照射して、モニターテレビで見ると、文字が良く見えるのである。
これは第1号漆紙文書で、「轆轤」「斛□」などの文字が見られる。
しかし、文書のごく限られた一部であるので、全体としてどのような文書なのかは良くわからない。
次の3つは、9世紀後半頃の竪穴住居跡の床面から出土した文書である。
これはタテ、ヨコともに2㎝しかない極めて小さな断片であるが、肉眼でも4文字見える。
□張吉、納財吉とあり、具注暦(毎日の吉凶などを記したカレンダー)の、最下段の一部である。
これが出土状態の写真で、直径18㎝の円形をしていて、曲物の形と直径が良く表れている。
これは第7号漆紙文書で、「秋田城」と「小勝城」の文字が併記されている。
出土文字資料として、「秋田城」や「小勝城」という文字が書かれていたものは全国で初めての発見である。
他にも「兵粮」、「大目(だいさかん)」、「𦊆夲(岡本)」などの記載が見られる。