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風土を楽しむ

初丑(はつうし)まつり

画像:初丑(はつうし)まつり

   旧暦11月初めの丑の日、奉納札を打ち鳴らす音、そして「ジョヤサ、ジョヤサ」と威勢の良い声が末広町を含む岩崎地域内に響きます。

 
 ふんどしにねじりハチマキ姿の男性たちが担ぐのは恵比寿俵。
 恵比寿俵が奉納される水神社は、水不足に困り果てた村人のために、かつての岩崎城の家臣たちが現在の千年(ちとせ)公園内のサカリ渕龍神に祈願をしたところ、みるみるうちに水不足が解消されたため、霊験あらたかな神様として建立された神社です。
 その頃は毎年3月の丑の日から一週間を祭日と定めたのみで、今のようなお祭りはありませんでした。
 
 初丑まつりは江戸時代頃から行われ始めたと伝わっており、秋田県三大伝説の一つ、「能恵姫(のえひめ)伝説」と関連があります。
 
 能恵姫伝説とは、岩崎城主の娘、能恵姫が川連(かわつら)城への輿入れの最中に龍神に連れ去られてしまう悲しい伝説です。
 龍神に連れ去られた後、天正元年(1573年)に、姫の父である第14代目岩崎城主・河内守道高公が、水神社を再建して能恵姫を合祀しており、初丑まつりが開催される旧暦11月初めの丑の日は、姫が龍神に連れ去られた日、つまり姫の命日にあたります。
 
 能恵姫は龍神にさらわれた後、城主・道高公が信頼を置く智学法印を淵の中へ誘い、「これから龍神に仕え、水難を救い、国土の護りとなる」と告げています。
 地域の方は、「能恵姫が地域を守ってくれているから、水が綺麗なんだよ」と話していました。
 当時、恵比寿俵の奉納には、各町内だけでなく、地域で醤油や酒造りを生業とする方々も訪れたといいます。
 
 水神社から各家々に渡される札には、水害からの守護や豊穣を願うという意味の文字が書かれています。昔は皆瀬川で漁をしていたことがあったため、大漁の願いも書かれていました。
 
 初丑まつりは、各町内の会館をスタートし、それぞれの町内を練り歩いた後、水神社へと向かいます。その途中、他の町内とはち合わせになると、お互いの恵比寿俵を激しくぶつけ合います。
 そして、水神社に到着すると、先に到着した町内が社殿に入らせまいとして押し合いへし合いの大合戦となります。
 神社への到着が遅れるほど、社殿の中の人数が増えていき、社殿の中に入るのが難しくなります。
 昔は、本当に社殿の中に入れてもらえなかった町内もあったのだと言います。
 
 担ぎ手として秋田県外から初丑まつりに訪れる方もおり、初丑まつりは地域の誇りとして継承する伝統行事の一つです。

【参考文献】
『現地看板:岩崎水神社と初丑まつり』
2016年3月31日掲載
 
【産地直送ブログ】
湯沢市地域おこし協力隊リポート(2016年12月掲載)

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