坂之下集落の人々が、地域で「一番の宝」と話すのが、伝統芸能「坂之下番楽」です。昭和45年(1970年)に秋田県無形民俗文化財に指定されました。平成24年(2012年)1月には、文部科学省の文化審議会で「鳥海山北麓の獅子舞番楽」のひとつとして国無形民俗文化財として記録選択するよう答申されました。計18種類の演目が伝えられ、坂之下番楽保存会が伝承してきています。
坂之下番楽は、寛永年間(1624年~1644年ごろ)、京都醍醐の三宝院に属する修験者「本海行人」が伝えたと言われています。江戸時代には、四国から入部した生駒高俊氏から庇護を受けてきました。1月1日、坂之下会館で「一礼」という集落総会の場で演じるのを皮切りに、1月10日の「幕開き」、4月14日の熊野神社祭典、8月13日の夜から14日の昼間にかけて行う集落の「家々まわり」、14日は夜19時頃から、坂之下会館で2時間ほどかけて10演目近くを演じます。そして12月中旬に坂之下番楽伝承館で演じて「幕納め」となります。
演目の中でも、ご祈祷獅子と呼ばれる「獅子舞」は、家内安全、災難疫病を祓うと伝えられています。刀を使った演武のあと、獅子頭をかぶった演じ手が、その場にいる人々の腰や頭などを噛む所作を行います。人々の悪いものを吸い取った獅子が、もだえ苦しむように伸びあがる様子は、獅子舞最大の見どころ、「お獅子さん」「お獅子様」と呼ばれ、住民の信仰心を集めています。昔は、お盆の家々まわりは、集落だけでなく、周辺地域にも出張し行っていて、13日から20日まで約1週間かけて回ったそうです。
坂之下番楽保存会は、後継者の育成のため、子どもたちに番楽の指導を行っています。子どもだけで演じる演目は「少年番楽」と呼ばれ、昭和40年代ごろから始まりました。子どもたちは、父親について練習風景を見ているうちに、自然と番楽のリズムを覚えてしまいます。「僕もやりたい」「私もやりたい」と声があがるようになり、子どもたちに指導し、演じさせるようになりました。周辺地域では伝統芸能の後継者不足が深刻になる中で、この少年番楽が坂之下番楽の後継者育成の一役を担っています。少年番楽は男女関係なく「やりたい」という子どもたちに指導を行っています。
県の無形民俗文化財から、国の無形民俗文化財へ移行しようとしている坂之下番楽ですが、演目「餅搗(もちつき)」のように、演者と観客が一体となって笑いをもたらす演目もあります。坂之下番楽保存会のメンバーは、観客をよりいっそう楽しませることができたら、坂之下番楽を後世に“伝えた”と言えるのではないか、そう考えています。
平成24(2012)年5月掲載
【関連リンク】産地直送ブログ
→お盆の坂之下番楽リポート(2012年9月掲載)
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