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過去のおしゃべり(名誉館長)


 
  2012年(平成24年)のおしゃべり 
 
12月 11月 10月
9月 8月 7月
6月 5月 4月
3月 2月 1月
  

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 12月 (76~80)

● 2012-80.
板橋区立美術館
「我ら明清親衛隊 大江戸に潜む中国ファン達の群像」 <2013年1月6日まで>(12月11日)


 尚美大学院のセメスター最終講義はいつもランチョンレッスンです。この時ばかりは、今年鬼籍に入った立川談志のような毒舌、独断、ドツキ何でもありです。終わったあと、成増経由で板橋区立美術館へ。畏友安村敏信さんが満を持して放った特別展、聞いたこともない画家、見たこともない作品のオンパレードです。江戸の画家たちが明清絵画に捧げたこのようなオマージュを目の当たりにすると、江戸文化における中国文化の重要性を改めて感じないではいられません。日本人の僕としては、オリジナルにないやまと美が生まれている !! とつぶやきたいところですが……。それはともかく、漢意を唾棄した本居宣長のような知識人もいました。現代と似ていると言えなくもありませんが、当時は中国憧憬派の方が圧倒的に多かったことでしょう。浅草から品川に引っ越し、これで少し中国に近くなったと喜んだという漢学者の逸話を思い出しながら、濃密なる会場を回ったことでした。

● 2012-79.
サントリー美術館
「時代を超える生活の中の美 森と湖の国 フィンランド・デザイン」(12月10日)


 フィンランドとは僕にとって「アラビア」の国です。驚かないで下さい !! 結婚祝いにもらったコーヒーカップのフィンランド・ブランドです。カイ・フランクという、この国生れの世界的デザイナーの手になることは後から知りましたが、コーヒーはもちろん、緑茶もおいしく、 40 年間愛用してきました。そのあいだに、遂に一客になってしまいましたが……。このフィンランドから、すばらしいガラスたちがやってきました。僕の「アラビア」と同じく、みなシンプルにして美しい。展覧会ですから、手に取ることは許されませんが、見るからに料理がおいしくなり、お酒が進みそうです。つまり機能的なのです。この中から一つもらえるとしたら、ティモ・サルパネヴァによるイッタラ・ガラス社製のグラスです。これはフィンランド国立ガラス美術館の収蔵品とのこと、このような国立美術館があること自体、彼らがみずからのガラスを、心から誇りにしていることを物語っています。

● 2012-78.
松尾敏男「画業 70 年を振り返って」
<日中文化交流協会文化講演会 於三菱ビル>(12月8日)


 画伯は今年度の文化勲章を受章されました。心からお喜び申し上げます。画伯の作品には思想があります。日本はいかにあるべきか、人間はどのように生きるべきか、死とは何かを考え、それを創造の基盤とされています。もちろん直接絵画化するわけではありません。例えば、画伯が院展で大観賞を取り、画家としての自信を得ることになった「鹿」では、力強い鹿のなかに、一つだけ白骨化した鹿の頭を加えることによって、見るものに驚きを与えるのですが、同時にそれは、生と死という問題を提起しているのです。作品はもちろん、画伯の文章を拝読しても、そこに哲学があることに深い感動を覚えます。ただ、これまでは構成にとらわれ過ぎていたことを省みて、これからは美しい自然をそのまま表現していきたいということもおっしゃいました。そのベクトルは、僕が好きな画伯の筆になる肖像画群と、どこかでつながっている気がしながら、新装の東京駅に向かったことでした。

● 2012-77.
国立能楽堂
「狂言 井杭」「能 大会」(12月7日)


 「井杭」のシテは野村万作、いよいよ冴え渡り、勘三郎にも長生きしてほしかったなぁと思いながら見入っていました。愛用の『能・狂言事典』には、このシテは少年が演ずることが多いと書いてあります。確かに少年の方が現実感を増すでしょうが、僕もあんなお茶目老人を演じながら余生を送りたいなぁ。その事典の写真を見ると、アド何某が若き日の万作、小アド算置の万作も見てみたい気になりました。「大会」は初めて、 DVD などでも見たことがありません。能がすべてありえない虚構だとはいえ、こんな荒唐無稽なる能があるんだなぁと驚くとともに、能と狂言が散楽から発達した表裏一体の芸能であることを実感したのでした。夢幻能ではまず実感できません。後ろのプロの席で熱心に鑑賞、いや、研究している小林健二さんにしばらくぶりでお会いし、 2 年前の芸能史研究会における「百万」に関する拙講と、そのあとお誘いいただいた忘年会を懐かしく思い出したことでした。

● 2012-76.
尚美学園大学
ライフマネージメント学科講義「東洋美術史」(12月4日)


 一昨年から対話型講義形式を取り入れています。スライドを映しながら、学生に好悪やその理由を聞くのです。ディベイト形式にすることもありますが、多くの学生は美術に、とくに中国美術には無関心ですし、国民性の故か発言することに臆病ですから、サンデル教授のようにはいきませんが……。このような対話型は、美術の世界でもかなり取り入れられています。例えば先日、尚美の同僚林容子さんから頼まれて、ACPエデュケーター養成講座で日本美術を講じましたが、これは対話型美術鑑賞を認知症の治療に役立てようとするプロジェクトです。希望があれば、「館長講座」でも対話型を導入してみたいと思いますが? ところでこの「東洋美術史」では、『ジュディの中国絵画って面白い』を教科書に使っています。内容はもちろんながら、ウケをねらったのですが、今の学生はジュディ・オングも「魅せられて」もまったく知らず、紹介しながら盛り上がったのは僕一人でした。

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 11月 (70~75)

● 2012-75.
三菱一号館美術館
「シャルダン展 静寂の巨匠」<2013年1月6日まで>(11月27日)


 わが国最初のシャルダン展です。心にしみる実にいい画家です。かのブーシェと同じ時代を生きた画家とは、とても信じられません。ルーブル美術館に行けば、ここにも来ている「食前の祈り」をはじめ、少なくない作品を見られるわけですが、靴音に気をつけながら歩かなければならない木の床の三菱一号館美術館の雰囲気が、むしろシャルダンにぴったりなのです。今回の<目玉>となっている「木いちごの籠」も本当にすばらしかった。ライトモチーフはもちろんですが、背景のニュアンスが何とも言えないのです。第一室に飾られた、つまり初期の作品である二点の「兎」は、別の意味でおもしろかった。それは食材としての死んだ兎なのですが、日本ではまず描かれないでしょう。「兎の吸い物」が春の季語になっているように、もちろん日本人も食べたわけですが。その代わり食材としての魚は描かれます。日欧食文化の違いも興味深く感じながら、会場を後にしたことでした。

● 2012-74.
山種美術館
「没後 70 年 竹内栖鳳 京都画壇の画家たち」(11月18日)


 アドレスに愛猫の名を借用している僕は、もちろん栖鳳の大ファンです。会場はうらやましいような人いきれ、皆さん「斑猫」に見入っています。確かにその写実性はすごい。しかし僕は、栖鳳がその猫を見た瞬間、「徽宗の猫がいるぞ」ともらしたこと、「その猫が現実の動物ではなく、徽宗皇帝の描いた猫の画に見えた」と語っていることを実に興味深く感じます。栖鳳を感動させた猫――沼津の八百屋さんが飼っていた猫の写真も展示されていましたが、ごく普通の猫です。少なくとも僕のタビちゃんの方が可愛い。ここに創造の秘密があります。僕の大好きな栖鳳の言葉に、「嘘のない芸術には輝きがない」というのがありますが、もしお弟子さんたちの絵の中に輝きのないものがあるとすれば、それは嘘がないからということになるでしょう。近代美術を特集した『國華』 1150 号に拙文を寄せた、聖徳太子奉賛展出品作の「蹴合」に、しばらくぶりで再会できたのもうれしいことでした。

● 2012-73.
高階秀爾先生の文化勲章受章(11月17日)


 このつぶやきでは、さん付けで呼ぶことを原則としてきましたが、今回は「高階先生、おめでとうございます !! 」。美術史・美術評論の分野でも、多くの先達がすぐれた仕事を遺してきましたが、文化勲章は初めての快挙です。哲学や歴史、あるいは文学をやっている研究者仲間には、「美術史ってお気楽な稼業だよな」などとのたまう奴もいましたが、これからは僕にも一目を置いてくれるでしょう !?  さらに先生は角館の出身、我々秋田県人にとってこれ以上の喜びはありません。先生とお話していると、もっとも上質な日本の知性を感じますが、下世話にも通じている点に驚きます。例えば、画家の呼び方に談が及んだとき、僕が「誰もキリアコス・テオトコプーロスなんて言わないで、皆エル・グレコと呼ぶ」と言うと、先生は即座に、「そう、加藤和枝ではなく、美空ひばりと言いますね」。美空ひばりの本名がすぐに出てくる文化勲章受章者なんて、いや、日本人でも少ないでしょう。

● 2012-72.
日本人は銭湯に入ろう !!(11月10日)


 僕は銭湯が大好きです。風呂自体はむしろ嫌いなのですが、銭湯となれば話は別です。「君が先に入ると、お嬢さんが嫌がるからだろう」などとチャチャを入れる朋友もいますが……。 10 年ほどまえ近くの桜湯がなくなったあと、大船にあるというので横須賀線で出かけましたが、洗面器をもって電車に乗るというは何となく居心地の悪いものです。今は東逗子のあづま湯がお気に入り――ただし自転車で 15 分ほど、冬は湯冷めをしますが、これがまた気持ちいい。同年輩たちの与太話や、隣から漏れてくる小母さん同士の世間話を聞いていると、江戸時代は「浮世風呂」の世界がまだ生きているのだとうれしくなります。あづま湯では、湯上りに愛子さんという方の色紙自画賛をながめるのも楽しみの一つ、時々掛け替えられるのですが、今日の佳吟は「命数や世々の吝かつゝら折る」でした。「日本人は日本手拭を使おう」に続いて、「日本人は銭湯に入ろう」と大声でつぶやきたいのです。

● 2012-71.
万里の長城ツアーの痛ましい遭難事故(11月8日)


 亡くなられた三人の日本人のご冥福をお祈り申し上げます。僕がはじめて長城に出かけたのは、 1989 年 3 月 19 日のことでした。北京日本学研究センターの講師として初めて訪中、 10 日間ほど『地球の歩き方』で会話を練習した僕は、長い間あこがれてきた長城に一人で出かけてみることにしました。 8:30 西直門駅発の電車に乗るとすぐ、若い人のグループと親しくなりました。早速おしゃべりを始めましたが、もちろん大半は筆談です。青龍橋駅で降りて登り始めましたが、寒いのなんの――ダウンを通して寒風が突き刺さります。八達嶺の餐庁で彼らと昼食をとると、食後に一人がリンゴの皮をむいてすすめてくれました。日中友好のため、喜んでいただきましたが……。夕方 7 時過ぎ、宿舎の友誼賓館に戻ってきましたが、その夜から熱が出て、一週間ひどい風邪に苦しめられました。市内では柳絮が飛び始めていましたが、八達嶺は別世界でした。ツアー会社の責任は免れないでしょう。

● 2012-70.
秋田公立美術大学不認可問題(11月7日)


 ネットで知ったとき、いかにも田中大臣らしいなぁと思いましたが、検討委員をつとめた一人として、怒りがこみ上げてきました。今の時期なって急にダメとなったら、準備をしていた短大生や編入生はどうすればよいのでしょう。もちろん国家が個人の幸福を阻害することは、しばしば起こることです。しかしそれは止むを得ない場合の話であって、今回などは絶対認められるものではありません。こんなことがまかり通るようであれば、新たに大学を創ろうとする真の教育者は誰もいなくなってしまうでしょう。何よりも秋田にとって、活性化の大きな芽を摘み取られてしまうことになります。いま秋田は、県立新美術館+なかいちを中心に据えてがんばっている最中です。地方の元気が日本を再生させるのです。大臣の主張に一理あるとしても、これから考えるべきこと、僕は「朝ズバッ」から電話取材を受けて大いに吠えました。もっとも、寝過ごして見逃してしまいましたが……。

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 10月 (64~69)

● 2012-69.
江戸東京博物館
「維新の洋画家 川村清雄 勝海舟、篤姫を描いた知られざる巨匠」(10月31日)


 美術や歴史を愛する日本人が絶対見なければならない展覧会、会期は 12月 2日 ( 日 ) までです。清雄は欧米に留学しましたが、最後まで江戸的美意識を捨てませんでした。しかもやがて黒田清輝が持ち帰った外光派風に、世の関心は向かっていってしまいました。日本人の嗜好を考えたら、日本などにこだわらず、おフランスとともに凱旋するとか、もう少しパリに居続けて、サロンなどで名を挙げてから帰国するという作戦の方が有利だったでしょう。しかしそんな姑息な手段を選ぶ清雄ではありませんでした。ところで清雄は、晩年のコローを訪ねたことがあるそうですが、彼は親指に絵の具をつけて木の葉を描いていたそうです。ティツィアーノがハイライトから中間色へぼかすときや、アクセントをつけるのに指を使ったことは知っていましたが、西洋にも東洋と同じく指頭画があるというのは、実に愉快なことです。もちろん両者の意義や目的は、まったく異なっているのですが……。

● 2012-68.
僕の古希の祝い(於た喜ち 10月20日)


 祝賀大パーティを是非と言う佐藤康宏さんに、「寿命が延びた今は七掛け、つまり俺はまだ 49 だ !! 」と叫んだら、うれしいことに教え子だけのディナーを準備してくれました。まず銀座大野屋で手拭を 35 本仕入れ、手拭主義者からのおみやげとすることにしました。会場は東大時代よく通ったイタリアン――佐藤さんの乾杯兼、前日行なわれた鹿島美術講演会の饒舌司会への軽いジャブから始まりました ( 笑 ) 。参加者を代表して三人から祝辞が献じられ、江南旅行をはじめ多くの思い出が一気によみがえったことでした。一番の変り種は、卒業後一流商社に入るも、退職して漫画家となった小田ビンチ君。傑作怪作 2 冊を頂戴しました。ぜひ頑張ってほしい。最後に生れ年 1943 年のワインを贈られたときには、感謝の言葉も出ませんでした。帰りはタクシーまで用意してくれ、ナビに住所を入れてもらってあとは爆睡。「お客さん、着きましたよ」と起こされたのは、近くの宗泰寺の境内でした。

● 2012-67.
鹿島美術財団東京美術講演会
「国宝源頼朝像再考」(10月19日)


 神護寺の「国宝源頼朝像」は、超有名な鎌倉時代の肖像画ですが、実は頼朝でなく、足利尊氏の弟である直義であり、制作年代も南北朝に下るという意見があります。最近、黒田日出男さんがなぜ直義が描かれたのか、なぜ頼朝になってしまったのかを読み解いた本を出版し、すごい話題になっています。そこで黒田さんを中心に、日本美術史の立場から泉武夫さんに、西洋美術史の立場から高階秀爾さんに肖像画について語ってもらうことになりました。主要テーマはイコノロジー、材質技法、様式の三つに収斂、実に刺激的で会場も満席となりました。最後の討論で僕は、かつて若桑みどり先生からボッティチェルリの「春」の解釈が 50 以上あると聞いたこと、様式観は美術史家における最後の砦であること、さらに光琳筆「紅白梅図屏風」の箔問題について発言しました。またまた僕がしゃべりすぎたため、皆さんが楽しみにしている懇親レセプションの開始が大幅に遅れたことでした。

● 2012-66.
群馬県立近代美術館
「江戸の風雅 旧きを知り新しきを創った絵師たち」(10月6日)


 これを見ずして江戸絵画を語ることはできません !!  企画したのは野田麻美さん、東大時代の学生の一人です。この館が誇るべき戸方庵井上コレクションをバランスよく配しつつ、研究成果をさらりと見せています。僕は「華麗なる琳派の草花図」と題して話しましたが、 10 月 27 日 ( 土 ) には安村敏信さんが「探幽の<うはべかろき>線と江戸の軽み」という講演を行なう予定、ぜひ聴講されることをお勧めしましょう。僕は会場を回りながら、かつて中村渓男先生のお供をして井上家を訪れ、戸方庵氏の話を聞きながら作品を拝見したことを思い出していました。カタログに巻頭エッセーを寄稿した佐藤康宏さんの科研による台湾調査に、野田さんが飛び入りで参加してくれたことも、懐かしく胸底に浮かんできました。ちょうど時間も頃合いとなり、お勧めのイタリアンへ。田沢裕賀さんと野田さんを相手に怪気炎を上げていたら、またまたお店の人から「お静かに」と注意されたことでした。

● 2012-65.
三重県立美術館
「KATAGAMI style  世界が恋した日本のデザイン」(10月3日)


 型紙といっても洋服の型紙ではありません。着物地に模様を染め出すため、柿渋紙でつくられる型紙で、過日紹介の琉球紅型もこの型染の一種です。これがかのジャポニスムと深く関係していたことを教えてくれる、目から鱗の展覧会です。カタログ解説によると、 1882 年初めて英国で紹介された型紙は、すぐにリバティ百貨店でステンシル用として売られるようになり、やがてアメリカにも伝えられて、多くの芸術家に霊感を与え続けたそうです。僕が初めてロンドンを訪れたのは 1982 年――偶然にも英国初紹介からちょうど 100 年後、大英博物館の調査を終えるとすぐ、あこがれのリバティに向かい、美しいプリントコットンをいくつも買い求めたものでした。実はそのオリジンこそ、我が型紙だったのです !!

● 2012-64.
東洋文庫ミュージアム
「ア !  教科書で見たゾ」(10月2日)


 ?崗の『天爵堂筆余』は桑山玉洲や田能村竹田の引用するところですが、今まで孫引きばかりで原本にあたったことがなかったので、新築開館以来はじめて東洋文庫を訪ねました。係の青年が実に親切に対応してくれ、版本や影印本を比較しながら一字一字たどっていると、今の刺々しい日中関係とはまったく異なる、濃密なる東洋の教養世界がそこにあることを強く感じないではいませんでした。終わってから階下のミュージアムへ。改めてモリソン書庫に圧倒され、ディスカバリールームへ進めば、『解体新書』のデジタル展示があり、我らが小田野直武も当然のごとく登場 !!  洋の東西を問わず、海外との交流なくして日本文化も存立し得ないことを思いつつ、ショップで安南焼の蜻蛉手茶碗を求めたことでした。

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 9月 (58~63)

● 2012-63.
サントリー美術館
「お伽草子 この国は物語にあふれている」(9月19日)


 室町時代にはお伽草子と呼ばれるたくさんの短編物語が作られ、それに絵が添えられて情趣愛すべき絵巻や冊子が生まれました。早くからこれを収集してきたサントリー美術館が、ほかの優品も加えて、その全貌を示そうとする特別展を立ち上げました。平安時代の「伴大納言絵詞」が傑出する絵巻であることは改めて言うまでもありませんが、お伽草子には、とくに小絵にはまた独自の素晴しさがあります。日本絵画の特徴であるシンプリシティーが、その美を創り出しています。室町時代の女絵だといってもよいでしょう。この対極に、雪舟や狩野正信の作品がありました。誤解を恐れずに言えば、日本文化は女性的文化だと僕は思っているのですが、お伽草子はその絵画におけるヒロインだといってもよいのです。

● 2012-62.
国立新美術館
「第 97 回二科展」(9月14日)


 東海大学時代の同僚・小畠廣志さんが出品していたころ以来、長い間ご無沙汰していた二科展ですが、今日は太田記念美術館理事会のあと六本木へ。宮澤光造さんの作品を見るためです。石彫を専門とする彫刻家の彼は、尚美学園大学の同僚でもあり、可愛らしい少女をライトモチーフに、見る人の心を和ませる作品を発表し続けています。それは明るい人柄の反映であり、その少女たちが彼のやさしい性格を育んでいるのです。もっとも今回の出品作では、「女の子もただ可愛いだけじゃないのよ」と自己主張しているようで、新しいベクトルを感じたのでした。尚美の学生が三人入選したこともうれしく、その桜井・与島・山根君の作品を見て館を出てくると宮澤さんとバッタリ、その偶然に驚いたことでした。

● 2012-61.
秋田県立近代美術館
・特別講演「平山郁夫――人と芸術」(9月9日)


 平山画伯はもっとも尊敬する画家の一人、僕の平山芸術観をぜひ語ってみたかったので、館長講座の一回をこれに代えることにしました。魁新報さんが宣伝に努めてくれたお陰か、実に163名もの方々が聴きに来て下さいました。それでなくても残暑厳しい重陽、会場はムンムンでしたので、「秋田駅前アゴラ広場で開催中の全国地ビール祭りの方が楽しいように思いますが……」というジョークから入りました。画伯の飛躍は「仏教伝来」に始まりますが、国禁を犯してまでインドへ仏典を求めに旅立った玄奘三蔵と、平山芸術の基底をなす遡及性――画伯が自伝画文集『道遥か』のなかで使う言葉にしたがえば「源流紀行」の間には、明らかな呼応関係が認められます。それを僕はとても興味深く感じるのです。

● 2012-60.
秋田県立近代美術館ミュージアムコンサート
「インド古典音楽コンサート ―大地の祈り―」(9月8日)


 開催中の「平山郁夫展」とのコラボ企画、初めて聴く生演奏が一時間の陶酔に浸らせてくれました。シタールは相場勝也、タブラは佐伯モリヤス、ボーカルはケイの皆さん、始まった瞬間に中央ホールが濃密なインド的空間へと昇華したのです。僕はエローラやカジュラホのヒンドゥー彫刻や壁画を思い出しながらリズムをとっていました。実際には見たことがなく、図版でしか知らないイメージに音楽がリアリティを与えてくれたのです。僕たちの世代にとって、シタールといえばビートルズとその師ラビー・シャンカール、ものすごく難しい楽器だということは聞いていましたが、実見して腑に落ちました。許されるなら、平山画伯の「大唐西域画」に囲まれながら聴いてみたかったなぁと思ったことでした。

● 2012-59.
東京美術倶楽部
「日中美術展――東洋美術の未来を探る――日本画と工筆画」(9月6日)


 「工筆画」は宋時代の細密な描写を継承した画風の現代中国画を総称する言葉です。『新潮世界美術辞典』にも見えない言葉ですが、この工筆画と現代日本画を、それぞれ50点ずつ比較して見せようとする必見の展覧会です。鳥瞰的に見ればよく似ており、虫瞰的に見れば大いに異なる画風が実に面白いのです。院展で活躍する王培さんのような中国人画家がいることもうれしい限りです。会場では、かつて対談をしたことがある水墨画家の里燕さんと会いました。かねがね疑問に思っていた工筆画と岩彩画や膠彩画の違いを、作品を前に教えてもらい、すべて氷解したことでした。李思訓父子の画風画材が日本に伝えられて日本画となり、それがまた中国のこれらに影響を与えている――これが私見なのですが!?

● 2012-58.
日本橋高島屋ホール 「バーナード・リーチ展」(9月4日)


 生誕125年を記念する回顧展、僕も彼の作品が大好きです。2006年東大を退いて、この美術館の仕事を始めるようになったころ、送られてきたえびな書店のカタログを開くと、彼のコーヒーカップが出ているではありませんか。ソーサーもついた6客揃いで、一つだけ取手がとれていますが、素晴しい作品です。ちょうど退職・就職記念に、何かいい焼き物がほしいなぁと思っていた僕は、すぐ電話を入れました。ところが一歩違いで、彼女はほかへお嫁に行ってしまいました。未練は残りましたが、致し方ありません。そのあと水尾比呂志さんにそのカタログをお見せすると、同じ作品がリーチの書斎を撮った写真に写っていることを教えてくれました。いよいよ未練は募りましたが、すべては後の祭りでした。

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 8月 (52~57)

● 2012-57.
東京国立博物館 「青山杉雨の眼と書」(8月26日)


 青山杉雨は20世紀を代表する書家です。「一作一面貌」と評されるように、作品はそれぞれ個性的ですが、一番好きなのは草書です。とくに薄墨で杜甫の「国破山河在……」を書いた幅などは、傑作中の傑作でしょう。そこには日本的美意識が横溢しています。もっとも杉雨には、とても強い中国趣味がありました。それは我が秋田が生んだ天才内藤湖南の系譜に連なるものです。その杉雨が写した漢詩――それが日本的だというのも変な話ですが……。僕はみずから書をやることはありませんが、この豊かな伝統に連なりたいなぁと、いつも思っています。若き書学研究者を顕彰するために設けられた「青山杉雨賞」の審査員を、かつて務めたことがある僕にとって、忘れることができない書家でもあるのです。

● 2012-56.
第10回JAWS フェアウェル・パーティー(8月25日)


 JAWSは日本美術史を専攻する世界の大学院生が合宿しながら、発表、特別観覧、おしゃべりなどを通じて交流を深めようとするワークショップです。それは辻惟雄さんの発案で1987年に始まりました。東大がホスト校となった第1回の楽しかった思い出が、今も鮮やかによみがえってきます。その後数年に一度開かれて、ついに10回目となりました。東京芸術大学がホスト校となった今回は、節目のJAWSにふさわしく、じつに充実した内容となりました。今日はその打ち上げ、会場は美術研究所時代、毎日のようにお世話になった懐かしき大浦食堂です。挨拶を求められた僕は、現在の日中韓における隘路を真に解決するのは、政治や経済ではなく、JAWSのような国際交流だと締めくくったのでした。

● 2012-55.
内蔵の町 「増田」(8月24日)


 「蛍町の栄華を内蔵が物語る」が載る『大人の休日?楽部ジパング』8月号を片手に、観光物産センターに飛び込んでマップをもらい、急いで五ヶ所を回りました。増田が殷賑をきわめたのは明治時代に入ってから、伝統的産業に加え、養蚕や葉タバコ栽培が盛んとなり、大商人が軒を並べたのです。彼らのお蔵は、間口が狭く奥に細長い地割の制約上、母屋のうしろに建てられました。そして雪害を防ぐために、鞘と呼ばれる建物で覆い、母屋と一体化させてしまったのです。このような構造のお蔵を内蔵というのですが、増田の内蔵は、黒漆喰磨き上げの豪華さにおいて他を圧倒しています。日の丸醸造では銘酒「真人」を求め、佐藤養助漆蔵資料館では美味しい稲庭うどんを堪能して、館に戻ったことでした。

● 2012-54.
青学オープンカレッジ
「美の東西<華の江戸絵画と江戸絵画の花>」(8月18日)


 青山女子短期大学教授の大野芳材さんは、僕が東大にいたとき、助手をお願いしたフランス絵画の専門家です。数年前、この公開講座を始めるにあたって大野さんは、東西比較美術史的方法を選びました。豊かな広がりのある、素晴しい設定です。3回目の今回は、「花」が統一テーマです。「東」を佐野みどりさんと僕、「西」を大野さんと宮崎克己さんが担当、僕がトップ・バッターとなりました。聞けば人気講座とのこと、悪い気のするはずがありません。僕はかのバルザックから入りました。この日がバルザックの祥月命日で、『ゴリオ爺さん』に自分の清浄なる生活を百合にたとえる一節があるからです。もちろん、覚えていたわけではありません。桑原武夫の名著『一日一言』にちゃんと引用されているのです。

● 2012-53.
出光美術館
「東洋の白いやきもの――純なる世界」(8月9日)


 第17回総合水墨画展懇親会に出席、ワインがとてもおいしかったので、〆の挨拶を頼まれた僕は、王翰の「凉州詞」を「葡萄美酒夜光杯……」と中国語でやりましたが、総合水墨画展とはまったく無関係でした。そのあと出光美術館へ。白磁は東洋陶磁の王様、話をお酒に戻せば、やはり白磁でやるのが一番です。もっともあまり上等なものは×です。若いころ、すでに酒仙の趣をたたえていた徳永君と田澤坦先生のコレクションを拝見に上がったことがあります。終了後、先生が20個ほど盃を出してきて、「サァ、好きなので一杯やりましょう」とおっしゃる。当然僕は宋白磁を選びましたが、少し酔いが回ってくると、もし取り落としでもしたらと心配になり、早速焼締めの備前に換えてもらったことでした。

● 2012-52.
新秋田県立美術館(8月3日)


 入口を入れば、エレガントな螺旋階段が出迎えてくれます。三角形を基調とした床にはパワースポットのマーク、見上げれば前途を祝福するがごとき三角形の光が……。館内を巡れば、バックヤードからギャラリー、カフェ、ショップまで、美的にしてかつ機能的、感嘆を禁じえませんでした。敷地の制約をむしろ逆手に取ったプランは、さすが安藤忠雄です。いや、安藤芸術の最高傑作ではないでしょうか。建設検討委員をつとめ、すぐれた建築家に依頼すべきだと主張した僕としても、こんなうれしいことはありません。今は枯らし期間、来秋の本オープンを心待ちにしながら、「なかいち」の寛文五年堂で最高の稲庭うどんを食し、連携講座「明快!ARTゼミ」会場の生涯学習センターへ向かったことでした。

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 7月 (46~51)

● 2012-51.
「琳派400年記念祭」記者発表
(於国際文化会館 7月31日)


 1615年、本阿弥光悦は徳川家康から京都洛北・鷹が峯の地を拝領し、光悦村を開きました。芸術村なのか、宗教村なのか、議論は尽きませんが、日蓮が夢見た浄仏国土という理想郷であった――これが私見です。ジャポニザンの憧れをも一身に集めた近世絵画の華、琳派はここに呱々の声をあげたのです。2015年はそれからちょうど400年、これを契機として、東日本大震災にみまわれた日本を、<美>によって元気にしようという構想がようやく具体化してきました。美術の枠を越えて、グルメや観光、ファッションまでを含んだ一大プロジェクトです。今日はその記者発表、ちょっと緊張して?臨みました。もちろん構想チャートには、「地域社会活性化」と入っています。我らが秋田も、チャレンジしてみよう!!

● 2012-50.
秋田県立近代美術館
「秋田県・甘粛省友好提携30周年記念  平山郁夫展 ― 大唐西域画への道」
開場式・内覧会(7月27日)


 開場式の挨拶は、35年ほど前、画伯にはじめてお会いした時の思い出から始めました。画伯の師にあたる前田青邨は、1922年、小林古径とともに大英博物館におもむき、顧愷之の「女史箴図巻」を模写しました。辻惟雄さんの発案で、不明であった両者の担当部分を青邨先生に決めてもらおうということになり、画伯に案内をお願いしたのです。そのとき僕も誘われ、一緒についていきました。すでに画伯は仏教伝来シリーズの成功により一家をなしていましたが、謙譲の美徳をそなえられていることに、深い感銘を覚えました。内覧会では木村さんのギャラリー・トークを聞いている方々の表情から、成功を確信しましたが、一人でも多くの県民諸氏に、平山芸術の真髄に触れていただきたいと祈念しています。

● 2012-49.
神奈川県立近代美術館葉山
「生誕100年 松本竣介展」(7月18日)


 我が館の宮城県美術館コレクション展で「画家の像」に触れたとき、竣介の作品をまとめて見てみたいものだと心底思いましたが、その機会は意外に早くやってきました。15歳の「山王山風景」から36歳の絶筆「彫刻と女」まで、完璧な竣介展です。「夭折の天才」――キャッチコピーなんかではありません。誰からの霊感を受けたって、凛とした感性が作品を貫き通しています。駄作というものが一点もありません。「立てる像」三部作が近代絵画史に屹立する傑作であることは言うまでもなりませんが、一点いただけるなら「A夫人」です。34歳のとき、麻生三郎らと行なった三人展出品作とありますから、麻生夫人だったのでしょう。個人蔵の「顔」も欲しいのですが、毎日眺めるにはちょっと苦しすぎます。

● 2012-48.
第234回日本近世絵画研究会
(於・出光美術館 7月13日)


 恩師山根先生が立ち上げた研究会です。始まったのは1985年、ちょうど僕が名古屋から東京に戻った年、毎回必ず出席し、発表もしたものでした。その後、忙しくなったこともあり――というのは口実で、だんだんとルーズになり、長い間欠席が続いていました。しかしこの度、出光美術館のお手伝いをすることになったのを機に、また出席させてもらうことにしました。若き研究者の発表を聞くことは、アンチエージングの特効薬です!? 先日アップの出光祭り展にちなみ、廣海さんの「祇園祭礼図屏風」筆者論を聞いたあと、飲み会へ繰り出しました。「これは茨城のトマトです」というように、出てくる肴に必ず生産地が一言添えられる良いお店でしたが、秋田の名産が一つもなくて、ちょっと残念でした。

● 2012-47.
出光美術館
「祭 遊楽・祭礼・名所」(7月5日)


 日本人はお祭りが大好きです。農耕が始まった弥生時代以来、埋め込まれ増殖してきた我々のDNAによるところです。これを主題とする風俗画が誕生したのは室町時代ですが、ブームとなったのは桃山時代のことでした。『慶長見聞集』が称えるように、万民が黄金をもてあそぶ弥勒の世になったからです。町衆シティズンの勃興があり、それに応えるたくさんの画家がいたからです。このような風俗画の出光美術館大コレクションを一挙公開する特別展、我らが先人のものすごいエネルギーに圧倒されることでしょう。もっとも僕は、閉塞感に包まれた現代日本を走り抜ける帰りの電車の中で、『閑吟集』の「一期は夢よ、ただ狂え」という一節を思い出していました。実はこれこそが風俗画誕生の秘密だったのです。

● 2012-46.
サントリー美術館
「紅型 琉球王朝のいろとかたち」(7月4日)


 紅型は琉球王朝の時代、王侯貴族階層の衣裳に用いられた独特の染色技法です。沖縄復帰40周年を記念して企画された意欲的展覧会、僕は紅型の素晴らしさに改めて感じ入るとともに、染織は風土の落し子であることを強く感じました。見終わっ てショップを通ると、紅型の手拭いを売っているではありませんか。もちろん機械染めですが、色合いは会場で見た紅型と遜色ありません。僕はいつも「タオルなどという軟弱なものではなく、日本手拭いを使おう!!」と叫んでいる手拭い主義者、東大追出しパーティのおみやげも、伊勢辰の手拭いを選んだものでした。早速ショップで一本を求めましたが、沖縄では、旅立ちの時にお守りとして「ティーサージ」(手拭い)を贈るという美しい風習があったそうです。

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 6月 (40~45)

● 2012-45.
秋田県立近代美術館 「ふるさとの四季」(6月22日)


 福田豊四郎と勝平得之は僕が大好きな秋田のアーティストです。二人は同じ1904年に生まれました。秋田をこよなく愛し、それをライトモチーフとしました。この二人の作品を見比べながら鑑賞できるように、四季に分けて展示してみました。作品の素晴らしさを、そして我が郷土の素晴らしさを、心ゆくまで味わっていただけるでしょう。とくに今回のキャプションはオススメです。三人の学芸員が力を合わせて一生懸命作りました。絵を見てからキャプションを読み、また絵を見れば、きっと楽しいことでしょう。お年を召した方は古き良き秋田を懐かしく思い出し、お子さんには軽い驚きとなることでしょう。見終わったとき僕は、これからの生き方について思いを巡らせている自分に気づいたものでした。

● 2012-44.
根津美術館 コレクション展「中世人の花会と茶会」(6月20日)


 サントリー芸術財団理事会のあと、長次郎の赤楽「無一物」をじっくり拝見するため直行しました。頴川美術館が所蔵する名宝です。親会社の銀行は厳しい現実に敗れてしまいましたが、無一物になることがないよう祈っています。去年は三井記念美術館で双璧の一方「俊寛」を鑑賞する機会に恵まれました。『茶の湯』に「光悦試論」を書いていたときだったので、どうしても光悦茶碗と比べながら見ることになりました。光悦茶碗も楽茶碗ですが、クラシックな長次郎に対し、光悦はバロック的なのです。「無一物」を見て、その対照をいよいよ強く感じました。その一因は、家業と趣味の相違にあるのではないでしょうか。

● 2012-43.
第一回中村賞授与式
(於国際文化会館 6月17日)


 僕は秋山光和先生から大きな学恩を受け、大学院半ばで東海大学に就職できたのも、先生のお陰でした。奥様日出子さんは前田青邨のお嬢さん、その間に生まれたまり子さんは中村眞彦さんと結ばれましたが、先年ご夫婦で前田青邨顕彰中村奨学会を設立されました。先生から直筆の依頼状をいただいた僕は、喜んでその理事に就かせてもらいました。その中心事業が、すぐれた日本画家の育成を目的とする中村賞の授与です。その第一回に選ばれたのは、狩俣公介さんと髙島圭史さん、ともに明日の院展を担う新進気鋭の作家です。日本美術院もお二人が卒業した東京芸術大学も、そして僕が編集委員を務めている國華もみな岡倉天心の創設にかかるところ、何か深いえにしを感じないではいられませんでした。

● 2012-42.
千葉市美術館
特別展「浮世絵師 渓斎英泉 蘇る江戸の媚薬」(6月14日)


 出光美術館理事会のあと直行しました。前館長の小林さんと新館長の河合さんから、「これを見ずして浮世絵は語れない!!」などと脅かされたためではありません。これだけ英泉をまとめて見られるのは空前にして、少なくとも僕にとっては絶後でしょう。「風流花合」を見ていると、伊藤さんが分厚いカタログを持って現われ、「たくさんありますから、心して見て下さいね」とご注意を受けました。確かに有るわあるわ、全351点、会場は英泉美人の脂粉の香りで満ちています。19世紀浮世絵は質量主義だという私見が実証されているようで、とてもうれしくなりました。それは優秀かつ多量であったのではありません。優秀であることによって多量になったのであり、多量であることによって優秀になったのです。

● 2012-41.
秋田県立近代美術館
館長講座「桃山時代の美術② 狩野光信」(6月10日)


 今日は満員御礼!! 第一回もかなり多かったのですが、これは例年のこと、「NHKの語学テキストも、4月号だけはよく売れるそうですよ」などとジョークを飛ばしていました。三浦さんは「館長の人気もすごいですね」などとヨイショをしてくれましたが、もちろん華麗なる桃山美術の人気ゆえでしょう。今日はブログ「弐代目・青い日記帳」にアップされた拙講「燕子花図屏風の魅力をさぐる」の紹介から始めました。直前に三浦さんが見つけてハードコピーをくれたのですが、僕はまったく知りませんでした。7ページにわたって大変うまくまとめられており、僕も初めて自分の言いたかったことがはっきりと腑に落ちたことでした。しかし「河野先生とくれば、はっちゃけたトークが期待できます」とは!?

● 2012-40.
上野の森美術館
「第5回東山魁夷記念・日経日本画大賞展」(6月1日)


 21世紀の美術界をリードする気鋭の日本画家を顕彰するために創設されたのが「日経日本画大賞」です。今回、鴻池朋子さんがグランプリを受賞しました。おめでとう!! 言うまでもなく彼女は我らが秋田の出身、一昨年開催して好評を得た「ネオテニージャパン」展でも、私たちを魅了してくれました。受賞作は「シラ――谷の者 野の者」、人間の足をもつ蝶と狼が中央の髑髏に挑みかかろうとする、圧倒的迫力の大障壁画です。カタログを開けば、我が館の山本さんと山梨絵美子さんが推薦文を寄せ、高階秀爾さんが選評を書いています。すべて秋田人、何か誇らしい気持になって会場をあとにしたことでした。来年開催予定の「ジパング」展でも鴻池ワールドを堪能できるでしょう。乞うご期待!!

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 5月 (33~39)

● 2012-39.
青春プレイバックⅡ(5月24日)


 H君が「機関車」を見て、かつて訪ねたヘルマン・ヘッセの故郷カルフの話をすると、樫尾さんがすぐ『ふるさと津和野』を開いて、安野もヘッセ・ファンですと言ったので、彼の感動はいや増すばかり。関谷四郎展のあと、ジャンボ・タクシーで石坂洋二郎記念館へ向かえば、これまた青春プレイバック!! かまくら館を回り、横手温泉に浸かってから飲み会。大いに盛り上がりましたが、やはり酒量が落ちているのが歴然?! 翌日は、羽後カントリー組と、市内探索組に分かれて堪能――もっとも僕は、総合水墨画展審査のため、6:10横手発で一人東京に向かいましたが…… 帰ってから横手や美術館や安野展を、とくに樫尾さんの解説を称えるメールが続々と寄せられ、大いに面目をほどこしたことでした。

● 2012-38.
青春プレイバックⅠ(5月24日)


 大学ESSの友人7人が我が美術館を訪ねてきてくれました。彼らと初めて会ったのが1963年4月、その後の2年間は毎日のように会っていた仲間たち、もう完全に青春プレイバックです。まず我が館長室に案内、掛かっている松井如流の「見賢思斉」を説明すれば、幹事のN君がポツリと、「俺も日展に入ったことがあるんだ」と言う。T君がもうほとんどプロの版画家であることは知っていましたが、二人もアーティストがいるとは!! ランチはもちろん「ふるさと村」の横手焼きそば――即、乾杯となりましたが、勤務中の僕だけ水というのがちょっと口惜しい!! 安野光雅展の案内は、樫尾さんが買って出てくれました。簡にして要を得た解説は流れるごとく、いつものようにチャチャを入れる暇もありません。

● 2012-37.
本荘郷土資料館 「本荘藩絵師たちの作品展」(5月23日)


 出勤前に、滝沢昌良の「鷹図押絵貼り屏風」を見るため寄り道をしました。先日、副館長の三浦さんが「さきがけ」に載った記事を教えてくれました。目玉はこの屏風なのですが、筆者について「出納や雑事を担う用人だった滝沢は1805年家老に就任」と書かれているではありませんか。本荘・滝沢・家老とくれば、僕の母方の祖先かも? 須田さんの案内を得てドキドキしながら対面すれば、 鷹狩の鷹を描いた力作です。粉本を用いたに違いありませんが、秋田は鷹狩の本場、写生も行ったことでしょう。井上隆明『秋田書画人伝』によっても、詳しいことは判らないのですが、勝手に先祖と決めて横手に向かったことでした。

● 2012-36.
三井記念美術館
「葛飾北斎生誕250周年記念<ホノルル美術館所蔵>北斎展」(5月10日)


 僕たちの世代にとって「南太平洋」は懐かしいミュージカル映画です。もっとも日本公開当時、僕はプレスリー映画などの方に興味があり、実際に映画館で見たのは大学に入ってから後のことでした。この原作を書いたのが、浮世絵の大ファンであった小説家ジェームズ・ミッチェナーです。ホノルル美術館の素晴らしい浮世絵コレクションは、彼の蒐集品が中核をなしています。1975年、山根先生の一行に加えてもらって訪問、ハワード・リンク氏の案内で初めて見たときのことも懐かしく思い出されます。その中から北斎の名品が選ばれ、里帰りしたのがこの特別展、富士という蓬莱山のもとで繰り広げられる江戸庶民のあふれるようなエネルギーを、昨日摺ったような色彩が改めて教えてくれたことでした。

● 2012-35.
出光美術館「悠久の美 唐物茶陶から青銅器まで」(5月10日)


 「唐物」とその源流である中国古代工芸の醍醐味に触れられるお勧めの展覧会です。先年『秋田美術』に秋田縄文論を書いた僕が、もっとも興味を惹かれたのは、殷代早期に花開いた二里頭文化期の優品「灰陶縄蓆文? 」です。? というのは、三足器の鬲に注口や取っ手をつけた形の土器で、お酒を入れたのでしょう。この大きさなら心置きなくジャンジャン飲めます!! もっとも祭祀用のオミキだったはずですが。我が国でいえば、縄文後期にあたる頃で、まったく同じ縄文がつけられています。縄文土器の縄文は、輪積み・野焼きで作られる土器の強度を上げるためと、熱効率をよくするためだったが、やがて縄文人はそれ自体に美を感じるようになったのだというのが私見ですが、はたして中国の場合は?

● 2012-34.
ボストン美術館所蔵・尾形光琳筆 「松島図屏風」
(テレビ東京<美の巨人>5月19日放映)


 (「美の巨人 尾形光琳」は、6月3日(日)夜7:30から、BSジャパンでも放映されました。)
 東京国立博物館で開催中のボストン美術館展に出陳中の作品、テレビにお馴染みの顔が映るので、見てもらおうと思ったのですが、考えてみたら秋田では×なんですね。この作品も1982日本ギャラリー開館記念シンポジウムとともに思い出されます。そのとき招待状をもらったのがほとんど直前、準備もせずに出かけました。困った挙句、英語でやることにしました。日本人にはよく分からないし、僕のジャプリッシュなら、アメリカ人にもチンプンカンプンだろうと思ったからです。無事終えて帰国すると、『月刊文化財』から印象記を書いてほしいと言ってきました。ぼんやり聞いていただけだったので、脇でノートを採っていた小林忠さんから借りると、やはり書いてありました!!「英語のためよく分からず」。

● 2012-33.
根津美術館
「KORIN展 国宝『燕子花図』とメトロポリタン美術館所蔵『八橋図』」(5月2日)


 話題は光琳の傑作「八橋図屏風」の里帰りです。言うまでもなく根津美術館には国宝「燕子花図屏風」があって、100年ぶりという両者の対決が見ものです。「八橋図」の方が明らかにあとの作品なのに、どうして「燕子花図」にはなかった橋が描かれたのか?永遠の謎です。「八橋図」は因幡国鳥取藩の池田家に伝わった作品ですが、この屏風が描かれたころの藩主は池田吉泰でした。光琳芸術と能は密接な関係に結ばれていたと考えているのですが、この吉泰も能が大好き、いや能狂いでした。僕としては「八橋図」も、謡曲の「燕子花」と関連づけたくなります。しかしそうなると、「燕子花図」に橋がないのは能の象徴性から来ているという私見とみごとに自家撞着を起こし、ちょっと困ってしまうのですが。

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 4月 (27~32)

● 2012-32.
千葉市美術館
「蕭白ショック 曾我蕭白と京の画家たち」(4月26日)


 この特別展のタイトルがまずショックです!! いくら蕭白の画風がエキセントリックだからといって、いくら頭韻を踏んでいるからといって、いくら帝室博物館ではないからといって、こんな展覧会名が許されるものでしょうか。しかし答はイエスです。ノープロブレムです。このショッキングな題名によって、一人でも多くの観覧者が、とくに若い人が来てくれるなら、泉下の蕭白もどんなに喜んでいることでしょうか。ギャラリートークに集まった方々を含めて、結構たくさんのファンを見かけました。このタイトルのお陰でしょう。もっとも、一般的に日本美術愛好家の平均年齢は高く、将来を心配している関係者もいます。しかしそれは杞憂というものです。いまの若者も早晩年寄りになるのですから。

● 2012-31.
秋田県立近代美術館 「安野光雅の絵本展」(4月20日)


 安野さんは僕がもっとも愛するアーティストの一人です。津和野町立安野光雅美術館が開館するとすぐお訪ねしたものでした。朝日新聞社が企画するこの絵本展のことを國華社で知ったとき、すぐに美術館に電話、みんなの賛同を得ました。AABの社長・進藤さんは敬愛する旧友、とんとん拍子に話は進んで、開局20周年の記念事業ということにもなりました。今日はついに開会式の日、テープカットに続いて内覧会、安野光雅美術館の副館長・広石さんがギャラリー・トークを買ってでてくださいました。そのあとお話をしていると、安野さんはいつも「シンプル・イズ・ベスト」とおっしゃっているとのこと、日本美術の特質はシンプリシティーだという僕の持論と同じ――とてもうれしい気持になりました。

● 2012-30.
ワシントン・ナショナル・ギャラリーCASVA国際シンポジウム
「江戸の画家」(4月13日)


 「色彩王国」のほか、葛飾北斎展や狩野一信「五百羅漢図」展が開かれましたが、これらに因んで二つの国際シンポジウムが行なわれました。僕は「江戸の画家」の方に参加し、拙い英語で「光琳と能」を発表してきました。会場は上記東館の立派な講堂、司会のユーラック先生が、秋田県立近代美術館のディレクターと紹介してくれたので、我が郷土の宣伝もやりたかったのですが、そんな時間はありませんでした。質問時間に、確かに「燕子花図屏風」や「紅白梅図屏風」からは音楽が聞こえるという賛同意見が出たので、とてもうれしくなりました。また後者の紅梅は、まるで人間のようだという感想が述べられましたが、かの小林太市郎のフロイト的解釈を思い出し、その慧眼に驚かざるを得ませんでした。

● 2012-29.
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
「色彩王国 伊藤若冲<動植綵絵>」(4月12日)

 この特別展にちなんで、若冲俳句投稿コーナーが設けられていました。「動植綵絵」から得たインスピレーションを英語俳句に詠んで、コンピューター画面に打ち込むのです。おもに19歳以下の子供たちが対象のようですが、傑作、佳吟、名句のオンパレードです。
 Come with appetite/Seafood platter here is huge/No room for dessert/ Ken
 After the spring rain/Dragonflies and butterflies/Toads sing songs of love/ Lesley
 Thirteen chickens flat/Twisting turning overlapping/Abstract yet real/ Anne
 それぞれ「群魚図」「池辺群蟲図」「群鶏図」へのオマージュです。僕も”I’m much delighted/To see Jakuchu is loved/By Americans”という駄句を投稿したことでした。

● 2012-28.
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
「色彩王国 伊藤若冲<動植綵絵>」


 日本からアメリカへポトマック河畔の桜が贈られてから、今年は100年目にあたります。ワシントンではさまざまな行事が行なわれていますが、その目玉がこの特別展です。若冲畢生の傑作が、33幅そろって海を渡ったのです。長い列ができ、会場は人々の感動の声がハモって、ワーンという感じでした。「貝甲図」の前で、老婦人がご主人に「ファッシネイティング!!」と語りかけているのを聞いたときには、涙があふれそうになりました。『ニューヨーク・タイムズ』には、これまでアメリカで開かれた最高の日本美術展だという紹介記事が載りました。カタログはすぐに売り切れてしまったそうです。これを編集したのが、かつての学生で、今はハーヴァード大学の教授となっているユキオ・リピットさんです。

● 2012-27.
小泉淳作筆 「東大寺本坊襖絵」(4月6日)


 今春の國華清話会が東大寺で行なわれました。去年開館した東大寺ミュージアムと、小泉画伯の力作を鑑賞したあと、森本公誠総長、梶谷亮二館長の講演を拝聴しました。勧進所でお茶をご馳走になったことも忘れられません。画伯の襖絵は高島屋でのお披露目で見ていたわけですが、建築と一体化すると、やはり迫力が違います。高島屋展に我らが「春を待つ鳥海山」が出陳され、錦城花を添えたことを思い出しながら見て回りました。先月発刊された『秋田美術』48号に、「秋田の美術によせて」の第7回として小泉画伯を取り上げたのは、この傑作が我らのコレクションだからに他なりません。帰りの新幹線では、素晴らしい画伯の写真集を出版した飯島幸永さんと、画伯の思い出を語り合ったことでした。

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 3月 (20~26)

● 2012-26.
神奈川県立近代美術館
「生誕100年 藤牧義夫展 モダン都市の光と影」(3月25日)


 鎌倉市美術工芸作品収集選定委員会のあと、館長・水沢勉さんの案内を得て、藤牧の世界を堪能してきました。1935年9月2日、わずか24歳で行方不明となった、館林出身の天才的版画家です。大作「白描絵巻」を含めて、これだけ大規模な藤牧展は空前にして、おそらく絶後でしょう。先日の村山知義といい、この頃カマキンは意欲的展覧会を連発しています。何といっても素晴らしいのは、代表作の「赤陽」です。都会の喧噪、刺激、アンニュイを視覚化して、これにまさる作品があるでしょうか。1995年、香港大学で教えていたとき、毎日のようにウォークマンで聞いていたアニタ・ムイの「夕陽之歌」が、再び聞こえてきたことでした。少なくとも「赤陽」に近いのは、近藤真彦の原曲よりこちらです。

● 2012-25.
東京国立博物館
「ボストン美術館 日本美術の至宝」(3月21日)


 この特別展の目玉は、初里帰りする曽我蕭白の「雲龍図」です。はじめて僕がこの傑作、いや怪作に対面したのは、1982年秋のことでした。ボストン美術館に日本ギャラリーが完成したのを機に、日本絵画シンポジウムが開催され、発表の招待を受けておもむいた時でした。シンポジウムの二日間ほどが研究日に当てられ、スタディ・ルームで名品の数々を自由に精査することが許されました。もちろんこの「雲龍図」もリクエストに入っていたのですが、あまりに大きすぎ、しかもメクリであったため、収蔵庫の前室で見ることになりました。それは図版から想像していた蕭白のイリュージョニズムを、さらに凌駕する作品でした。不協和音のような唸りを上げながら、巨大な龍が僕に襲いかかってきたのです。

● 2012-24.
三月大歌舞伎
「荒川の佐吉」「忠臣蔵・山科閑居の場」(3月15日)


 隈健吾の設計のもと、歌舞伎座は新築中、はじめての新橋演舞場で見てきました。今回は國華社の天羽さんのお蔭で、最前列、花道の真下という席をゲット!! 役者の下帯までみんな見えてしまう、こんな特等席も初めての経験です。「荒川の佐吉」の染五郎が素晴らしかった。何といってもイケメンです。女形も映えるとのこと、当然のことでしょう。挙措、口跡とも申し分なく、ヤンチャな海老蔵とこれからの歌舞伎界を背負っていくはずです。基本的に歌舞伎はスターシステムの演劇です。作者は真山青果、『歌舞伎事典』には「相反する強烈な性格を対立させ、規模雄大な悲劇を完成」などと書かれていますが、むしろ天才的ストーリーテラーだというべきでしょう。初めから終りまで、涙滂沱たり――でした。

● 2012-23.
秋田県立近代美術館 「紺野五郎素描展 赫い女」(3月10日)


 紺野五郎(1916~97)はものすごい画技を身につけた画家でした。もうそれは天性のものでした。しかし紺野の一生はこのテクニックとの闘いだった--僕にはそう感じられてなりません。完成作品においては、技巧を見せないようにしています。壊そうとしています。紺野にとって天賦の画技は、負い目だったのではないかと感じられるほどです。完成作品だけではありません。素描のなかにも、うますぎる自分に対して苛立っているようなものがあって、それが感動を呼ぶのです。キュビズムに代表される近代絵画思想の洗礼を受けた紺野にとって、技巧に依拠することは創造の堕落だと感じられたに違いありません。

● 2012-22.
神奈川県立近代美術館・葉山
「すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」(3月9日)


 知義という創造者を本当にうらやましいと思いました。知義の青春は輝いていました。この大規模個展のタイトルそのままに、沸騰していました。このタイトルは「過ぎゆく表現派」という文章の一節から採られたそうですが、1921年、東大を中退してベルリンに飛び出してから沸騰点に達するまで、それほど時間はかかりませんでした。僕が知義に強い憧れを感じるのは、このような沸騰感覚を経験したことがないからでしょう。同じ美術とはいえ、創造と研究の違いだと言ってしまえばそれまでですが。もっとも僕が一番好きなのは、沸騰を象徴するダンスパフォーマンスではなく、絵本の仕事です。鈴木三重吉作『おなかのかわ』の原画や、詩人であった妻籌子との共作――いつまでも見惚れたことでした。

● 2012-21.
出光美術館
古筆手鑑――国宝『見努世友』と『藻塩草』(3月8日)


 二点の国宝手鑑が一堂に会するというのですから大変です。しかも、かの益田鈍翁が作った近代の名手鑑「谷水帖」も錦城花を添えています。よいものだけを少しずつ集める古筆手鑑は、日本文化の典型というにふさわしく、ちょっと高級松花堂弁当に似ているなぁなどと思いながら見入っていました。もっとも、一つ一つ見入っていたら、いくら時間があっても足りません。文字というものは、どんな民族にあっても意思疎通のための手段ですが、我が国においては、少なくとも東アジアにおいては、それ以上の価値があったことを改めて教えてくれました。そして僕も、この伝統に連なりたいものだと強く思いました。この文章さえワードで書いている僕が、偉そうなことなど言えた義理ではないのですが。

● 2012-20.
横浜美術館
「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」(3月3日)


 我が館でいえばAMCにあたる美術館協力会から依頼された講演を済ませたあと、今をときめく松井冬子の世界を堪能してきました。展覧会場の外で、拙講を聞いてくれた方から質問を受けました。答えていると、ガードウーマンから「静かにして下さい」と注意されました。「展覧会場では一言も発してはならない」というのは間違っていると個人的に思っているのですが、確かにこの展覧会だけは、死人のようになって見るのが正しいのです。何もしゃべってはならない。何も考えてはならない。何も感じてはならない。それは会場を出たあとで行なうべきことです。作品の前では、ただ仰視あるのみです。「日本×画展」から6年、これからどこへ行こうとしているのか、考えると恐ろしいような画家です。

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 2月 (13~19)

● 2012-19.
鈴木空如「法隆寺金堂壁画模写」(2月23日)
横手へ。


 以前わが館で、大仙市所蔵の本作品を中心に、特別展を開催したことがあります。企画したのは、いま小山市立車屋美術館に勤務する佐々木直子さんでした。5年ほど前実際に拝見しましたが、僕には手に負えないので、その道の大家である有賀祥隆さんと泉武夫さんを紹介し、研究を進めていただきました。その結果、法隆寺金堂壁画を研究する際にも、きわめて重要な作品資料であることが判ったのです。その補修のため、朝日文化財団を紹介したことがあったのですが、この度4幅が終了したので、大仙市教育委員会の細川さんと修理を担当した木村表装店の木村さんが、報告書をもって訪ねて来てくれました。

● 2012-18.
逸翁美術館早春展「呉春の俳画と写生画」(2月18日)
講演「呉春の新しい魅力」


 館長の伊井春樹さんから依頼され、私見?をしゃべってきました。僕がはじめて逸翁美術館を訪れたのは35年前、『國華』に新出の呉春屏風を紹介することになり、館長の岡田利兵衛先生にお話を聞くとともに、館蔵作品を拝見するためでした。先生は5年後に亡くなられましたが、今回お嬢さんに初めてお会いし、改めて学恩を感謝したことでした。伊井さんは1989年春、北京日本学研究センターへ講義に行ったとき一緒だった源氏研究の大家、あの楽しく、そしてちょっと大変だった北京生活の思い出に花が咲きました。講演が終ってから、「白梅図屏風」をはじめとする呉春の名品を心ゆくまで堪能、家路につきました。

● 2012-17.
三井記念美術館特別展(2月14日)
「茶会への招待――三井家の茶道具」


 学習院大学での博士論文口述を終え、三井記念美術館へ。最近僕はお茶に凝っています。去年は、秋田茶道連盟会長の小泉さんから頼まれて、全県茶道祭で講演しました。今は『茶の湯』や『なごみ』にエッセーを書いています。この7月には、茶の湯同好会の林屋さんから頼まれて、夏期講座でしゃべることになっています。もっとも、凝っているというより、成り行きでこうなっちゃったのですが…… 大好きな「三好粉引」に感涙、かつて『美術研究』に紹介した渡部始興筆「鳥類真写図巻」を見れば青春へプレイバック!「強肴」の写真を眺めていたら、時間も時間、急に呑みたくなって早々にお暇したことでした。

● 2012-16.
壷中居「膠彩 出会う展」 (2月6日)


 國華編集のあと、佐野みどりさんと出かけました。染織研究家の切畑健さんと、重要無形文化財・羅経錦技術保持者である北村武資さんのコラボレーション展です。切畑さんがみずからのコレクションである人形をモチーフにした絵と、その絵を囲む北村さんの織物がみごとにマッチしています。案内状に刷られた「パリの―2011―」をはじめ、世界各地の可憐な人形に見つめられると、人間の女性を二重に造形化したフィクションでありながら、なにか不可思議な感情が生まれてきます。島原のわちがいやさんやハイデルベルグ大学で会ったとき以来の朋友である切畑さんと、しばらくぶりにおしゃべりしたことでした。

● 2012-15.
館長講座「室町時代の美術」8 (2月5日)
狩野派登場<正信と元信>


 今年度最後の講座、豪雪にもかかわらず、たくさんの聴講者に迎えられる。皆勤賞として、9人の方々に、僕のエッセーが載る『夢に挑むコレクションの軌跡』特別展のカタログと、『おもてなしの美術』特別展のカタログを進呈する。これはサントリー美術館の厚意によるところである。聴講者の方々から、今朝の「日曜美術館」<尾形光琳筆「紅白梅図屏風」>はとても素晴らしかったと褒めていただいたが、僕はバタバタしていて見るのを忘れていた。再放送で見ることにしよう。

● 2012-14.
横手へ。(2月4日)


 ちょうど昼飯時になったので、菊地さんと蕎麦屋さんへ。十割、二八、更級とあるが、どれもみな絶品。
 来年度館長講座のテーマは「桃山時代の美術」と決め、そのシラバスを作る。

● 2012-13.
サントリー美術館 (2月1日)
「大阪市立東洋陶磁美術館コレクション 悠久の光彩 東洋陶磁の美」


 いわゆる安宅コレクションを中心とした特別展、至福の二時間のあと、川越シティーカレッジの講演に向かいました。とくに北宋の「白磁刻花蓮花文洗」など、見ているうちに目がウルウルになってきました。こういう感動を絵画で体験することがないのは、専門としているため、すぐ落款などの細部に目がいってしまうからかもしれません。この展覧会では、中国、朝鮮、日本を比較しながら見ればより一層興味深く、影響関係を考えることもおもしろいでしょう。しかし一番のお勧めは、この皿にはどんな料理が、この瓶にはどんな花が、この徳利にはどんな酒がもっともよく合うかを想像しながら見ていくことです。

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 1月 (1~12)

● 2012-12.
江戸東京博物館
「NHK大河ドラマ50年特別展 平清盛」(1月31日)


 テレビドラマにはあまり関心がないのですが、展覧会となれば話は別、早速見てきました。何といっても圧巻は、国宝「平家納経」です。清盛一門の悲愴ともいうべき祈りを聞く思いをしました。最近、『茶の湯』に連載中の「光悦試論」を書くために、名著『写経より見たる奈良朝仏教の研究』を読み返したのですが、著者の石田茂作先生がこれを見たら、何とおっしゃったことでしょうか。天平写経の巻数を競う傾向や、美しい表装にさえ、醜い自我の厚化粧を読み取っているのですから。しかし我が国においては、宗教は美術によって精神的高揚を可能にし、美術は宗教によって造形性を高めたのだとも言えるでしょう。

● 2012-11.
職員会議。(1月27日)


 激動が予想される2012年に向けて、一致団結して進むこと確認する。来年度の特別展、とくに安野光雅展について相談する。

● 2012-10.
到着後ただちに運営協議会。(1月26日)


 藤城清治展の成功に対し謝辞を述べるとともに、来年度の特別展である安野光雅展、平山郁夫展、岩合光昭展の準備状況について報告する。成功体験に溺れることなく、がんばって欲しい旨、激励を受ける。「23年度Ⅳ期コレクション展 見いだされたフォルム」を見る。斬新な証明によって、一作一作がより一層強い個性を主張し始めている。改めて峯田敏雄の「記念撮影―塀―」に深く感じ入る。夕方から、生涯学習課の小川さん・林さんを交えて新年会。今年の更なる飛躍を誓い合う。

● 2012-09.
峯田敏郎「記念撮影―塀―」
<23年度Ⅳ期コレクション展 見いだされたフォルム>


 峯田さんはもっとも好きな木彫作家の一人です。我が館にも多くの作品が収蔵されていますが、標記の作は代表作といってよいでしょう。そこには平安中期から鎌倉初期に行なわれた鉈彫り仏像彫刻の伝統が感じられます。材はクスノキですが、古代日本では神の憑代にもなった樹木でした。樹木の垂直性は女性像に象徴されていますが、これは我が仏教彫刻の特徴でもあるのです。胡粉と朱による着彩も、神仏像の古色を思い出させます。主題は若い女性ですが、宗教的な祈りにも似た感情に溢れるのは、峯田さんの美意識とともに、その材質とも無関係ではないのです。いや、材質の特質を最大限に生かしているのです。

● 2012-08.
ロンドンギャラリー「酒器展」(1月24日)


 尚美大学院の秋セメスター最後の講義はランチョン・レッスン、学生と別れたあと、「酒器展」のオープニングに向かいました。会場には40点ほどの猪口、ぐいのみ、徳利が並べられています。隋から明の古染付、高麗から李朝、室町の古瀬戸から江戸の乾山まで、「垂涎」とは当にこのことでしょう。床には穴風外の一行書「弌盃酒」が懸けられています。店主の田島さんは越前の出身、直送された銘酒も用意されています。僕も嫌いではない方、早速一杯、いや、三、四杯いただいたことでした。最近『月刊アートコレクター』33号の「私はこれで呑んでいます」に、不言堂坂本五郎作片口とともに登場したくらいですから……

● 2012-07.
千葉市美術館特別展
「瀧口修造とマルセル・デュシャン」(1月18日)


 デュシャンのまとまったコレクションに初めて触れたのは、2007年、フィラデルフィア美術館で行なわれた特別展「池大雅と玉瀾」のシンポジウムに招かれた際でした。すでに有名な「泉」の複製などは見ていましたが、やたら長い題名のオリジナル絵画を目の前にすると、やはり天才だと思わずにはいられませんでした。それなのに「自分自身を繰り返さないために」絵画を放棄してしまう。これまた天才の証明です。その後の仕事が美術史上、期を画するものであったことはもちろんですが、僕の希望を率直に言えば、千葉市美に出ていたエッチングの方をいただきたい。「泉」を我が家に飾ることはできないのですから!!

● 2012-06.
山口桂三郎先生ご逝去(1月17日)


 国際浮世絵学会会長の山口桂三郎先生が急逝されました。享年83でした。かつて東京国立文化財研究所に勤めていたころ、僕は石田泰弘さんと一緒に、東京浮世絵研究会を立ち上げました。月に一度集まって研究会を開き、反省会と称する飲み会へと流れました。浅野秀剛・稲垣進一・岩切信一郎・岩切友里子・小沢弘・鈴木浩平・永田生慈さんなど、今も浮世絵で食べている人たちが、夢と希望とともに集まってきました。山口先生はこの会の意義を高く評価し、アドバイスとサポートを惜しみませんでした。国分寺のお宅を研究会場にと、お招きいただいたことも再三でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

● 2012-05.
ニューイヤー2012・湘南室内合奏団創立20周年記念演奏会(1月14日)


 尚美学園大学の同僚である白石隆生さんは指揮者として大活躍中、帰りが同じ方向なので、時々電車でおしゃべりに…… 去年は東日本大震災チャリティーコンサートを聞かせてもらうつもりにしていたのですが、京都の調査が長引いたため、急遽×になってしまいました。今?回、招待状をいただいたので、藤沢市民大ホールへ。奥様のソプラノ歌手、白石敬子さんを中心とするモーツァルトの「戴冠式ミサ」は、すばらしい出来栄えでした。お正月は毎年、歌舞伎か能を見ることにしているのですが、今年は風邪のため叶いませんでした。クラシックは本当にしばらく振り、これまた忘れ難い年始めとなったことでした。

● 2012-04.
小野さんたちと年頭の打ち合わせ。(1月8日)


 生涯学習課長・小川さん来館、年頭の相談。僕も拙文を寄せた高階秀爾編『江戸の中の近代』を購入読了されたそうで、署名を求められる。

● 2012-03.
館長講座「室町時代の美術」7<土佐派と町絵師>


 絵手紙で有名な梅本到さんが会場にいるので驚く。四半世紀以上にわたる朋友で、「館長のつぶやき」の大ファン。講座のあと「日本画の風景」と「時代のよそおい」を案内、菊地さんの車で一緒に空港へ。秋田に泊まり、明日は花輪線に乗って取材旅行とのこと。

● 2012-02.
横手へ。(1月7日)


 飛行機はしばらく秋田空港上を旋回していたが、豪雪のため着陸できず羽田へ引き返す。振り替えた次便は無事着陸。機中で秋田県柔道連盟会長の國安さんと知り合い、同乗の教育委員長・米田さんとともに、國安さんの車で秋田駅へ。今度は奥羽線が不通で、新幹線とバスで横手着。2012年も激動の年になるのか?

● 2012-01.
張択端筆「清明上河図巻」(1月6日)


 東京国立博物館の特別展「故宮博物院名品200選」に北京から飛来、招待日でしたので一応見ることができましたが、その後4時間待ちになったと聞きました。1999年秋、もう一つの神品、顧コウ中筆「韓熙載夜宴図巻」とともに公開されるというので、死ぬ前に一度はと思い、北京まで出かけたことを思い出します。しかし故宮はガラガラ、写真を撮っている人もいましたが、見張りの人はおしゃべりに夢中でした。北宋の首都、ベン京(開封)における清明節の賑わいを活写した名品ですが、我が国の風俗画と比べて、何と異なっていることでしょうか。もっとも、杜牧の名吟「清明」の雰囲気ともずいぶん違うのですが。