本文へスキップ

歴史を知る

県無形民俗文化財「仙道番楽」

画像:県無形民俗文化財「仙道番楽」

 地域に根付いた郷土芸能・仙道番楽は神楽の一種で、その起源は古く、数百年の歴史を刻んでいます。発祥については2つの説が有力とされ、1つは慶長年間(1596年~1615年)に京都から三蔵院坊という修験者が来て山伏神楽を伝えたという説があります。
もう1つは、およそ400年前に鳥海山で修行を積んでいた山伏たちにより伝えられたという説です。山伏たちは厳しい冬の間は里に下りて暮らしていました。民家に宿を借りたお礼に、夜に神楽を舞って里人を楽しませていたとされ、古い文献や石碑には「晩楽」という文字を当てた表記も見受けられます。現在でも神社の祭礼では夜8時~11時くらいにかけて演じられます。
 
 仙道番楽は表六番・裏六番の合計十二番の演目から構成されています。神楽・能・狂言・歌舞伎など様々な芸能が取り込まれ、長い時間をかけて現在のかたちとなりました。神社の祭礼では、集落の中を練り歩きながら神社に向かい、一番の獅子舞に用いる獅子頭に神を招く所から始まり、十二番を通して演じられてきました。太鼓、笛、鉦、舞い手の息のあった演技、義経と弁慶の勇壮な舞、天の岩戸伝説を基にした優雅な鶏舞、観客を笑いに巻き込む掛け合いの面白さが光る舞と、様々な演目が次々と繰り広げられます。
 
 雪が解け、農作業が本格的に始まる4月中旬の「幕開け」が神明社に奉納されるのを皮切りに、旧盆、慰霊祭や追悼会、豊年祭、新築する家の柱固めなどの依頼によって舞われてきました。雪が降り農閑期に入る直前の「幕収め」で一年を締めくくります。また、五穀豊穣・災難除けになるとして、春には獅子舞が集落各戸を巡礼するのが習わしになっています。
 
 歴史ある仙道番楽ですが、出稼ぎや戦争への召集で、一時存続が危ぶまれた時もありました。面や衣装も散逸し、昭和初期には舞われることはほとんどなくなってしました。昭和21年頃、復員した青年たちが村の荒廃を何とかしようと、当時流行の「やくざ踊り」を踊っていた所、「仙道には立派な番楽という郷土芸能があるのに」と老人たちに諭されました。12名の青年で番楽団が結成されると、健在だった番楽師たちから演目を習い、十数年ぶりに仙道番楽は復活を果たしました。手取り足取り教えてくれた三人の老人への感謝をこめて「番楽再興祖の碑」が上仙道中村集落に建立されています。
 
 このほか「番楽師 今野末吉」(上仙道西又集落出身で再興祖の三人の師匠。現在の仙道番楽の創立者)、「桧山番楽 三浦松蔵」(桧山集落に戦後結成された番楽団長)、「番楽師 菅野種吉」(今野末吉の師匠)など多くの番楽師の碑が建てられ、番楽が地域から愛されていることが感じられます。
 
 有形無形の地域からの支援と、羽後町をはじめとする行政のバックアップを受けて発展した仙道番楽は、昭和39年(1964年)には、秋田県指定無形民俗文化財に指定されました。昭和22年(1947年)に結成された「仙道番楽保存会」は、現在では新処集落の集会所を拠点に、地域ぐるみで後継者育成が行われています。平成27年には、東京で開催された仙道地域出身者の集いでも舞われました。仙道地域の、生活の折々の節目となり、苦労を吹き飛ばし、連帯感を感じあってきた番楽は、これからも仙道地域に受け継がれています。
 
■参考文献
羽後町郷土史編纂委員会「羽後町郷土史」
武田憲一「仙道番楽一代記」
秋田県教育委員会「秋田県の文化財」
仙道の歴史を探る会 「仙道の地域誌」
 
2016年3月31日掲載

ページ上部へ戻る