「秋田城」は、奈良時代に造られた日本最北の古代城柵で、当時の律令国家が東北地方各地に支配拠点として置いた大規模な地方官庁だったと言われています。秋田城出土木簡(※)からは、上野国(こずけのくに)からの進上木簡が多く見られ、特に上野国(現:群馬県)の中でも、西部六郡(せいぶろくぐん)と呼ばれる地域と秋田の繋がりが深いと推測されています。この西部六郡は窯業生産(須恵器や瓦)や鍛冶工房が盛んであり、こうした地域から秋田に先進的な技術が伝えられた可能性があります。
当時の秋田平野とその周辺は、古代の日本最北の瓦生産地であり、奈良、平安時代に須恵器や瓦を生産していた窯跡が発見されています。窯跡は、上、下新城地区の兵陵部に所在する新城川水系のまとまりにあります。
須恵器窯が操業し、生産していた年代は奈良時代8世紀半ばから平安時代の9世紀後半までと考えられていて、なかでも新城川水系で最も古い8世紀半ばの「右馬之丞窯跡(うまのじょうかまあと)」は、律令国家の進出に伴い、遠隔地より直接的に生産技術の導入が成されたと考えられています。窯は官営の施設であり、官窯であったとされています。(秋田城とその周辺から出土する土器は、北方の影響がみられ、素焼きの甕(かめ)などは、北陸地方の影響を受けているとみられている)。
須恵器窯が操業し、生産していた年代は奈良時代8世紀半ばから平安時代の9世紀後半までと考えられていて、なかでも新城川水系で最も古い8世紀半ばの「右馬之丞窯跡(うまのじょうかまあと)」は、律令国家の進出に伴い、遠隔地より直接的に生産技術の導入が成されたと考えられています。窯は官営の施設であり、官窯であったとされています。(秋田城とその周辺から出土する土器は、北方の影響がみられ、素焼きの甕(かめ)などは、北陸地方の影響を受けているとみられている)。
また、窯跡群の周辺では、古代の集落の存在も確認されていて、官直営による須恵器と瓦の生産は、秋田平野とその周辺の律令国家による直接的な地域支配のあり方をも示すものです。
※木簡(もっかん)→ 字句などを書き記した木の札
令和6(2024)年10月掲載
令和6(2024)年10月掲載
■参考文献
秋田市教育委員会 秋田城跡調査事務所
2015年発行 『秋麻呂くん通信』
秋田市上新城地区振興会/編 『伝え語り:上新城之物語』
■記事執筆協力
秋田市教育委員会 秋田城跡調査事務所
2015年発行 『秋麻呂くん通信』
秋田市上新城地区振興会/編 『伝え語り:上新城之物語』
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