上新城地域には、縄文時代晩期の遺跡が密集しています。
その中でも、上新城中学校遺跡」は秋田市北部を流れる新城川上流域の右岸に形成された河岸段丘のうち、最も低い面に立地する縄文時代晩期の集落遺跡です。溝(柵木烈)が周る集落とその外側に土壙墓(どこうぼ)、土壙が存在する遺跡であり、集落を囲む溝跡(木柵列)は、極めて珍しい遺構です。
一般的に、縄文集落は“囲いを持たない開放系の集落”であり、このような形態の遺跡は全国的にも非常に珍しい例であり、県内における縄文時代の遺跡としては、
上新城中学校遺跡」のみに見られる特徴です。
 

 かつて中学校建設に伴う発掘調査が行われ、縄文時代晩期の溝跡3条、出入口施設2棟、住居跡3棟、土器埋設遺構1基、土壙墓143基(溝跡の南・西・北側にまとまり、すべて溝跡の外側に位置し西方を囲むような形になっている)が見つかりました。出土遺物には、土器、石器、土製品、石製品などがあり、縄文晩期の土器が圧倒的に多く、後期、弥生、平安時代のものも微量出土しています。  

 本遺跡は、縄文時代の晩期中ごろまでは主に墓地として使われていましたが、その後に縄文晩期の後半に長軸59m・短軸49mの溝跡(木柵列)で囲われる集落が新たに作られたと考えられています。

令和6(2024)年10月掲載

参考文献
秋田市上新城地区振興会/編 『伝え語り:上新城之物語』

記事執筆協力
秋田市農山村地域活性化センター「さとぴあ」

こちらの記事もおすすめです

道川神社

 「道川神社」は、秋田市上新城道川字相染の山地内にあります。江戸時代には真言宗「愛染院」があり、「愛染堂」と「不動堂」をお守りしていました。道川神社の呼称ならびに祭神などは明治4(1871)年の神仏分離令により変化して...

歴史

神社・寺

新城地域の窯跡

 「秋田城」は、奈良時代に造られた日本最北の古代城柵で、当時の律令国家が東北地方各地に支配拠点として置いた大規模な地方官庁だったと言われています。秋田城出土木簡(※)からは、上野国(こずけのくに)からの進上木簡が多く見ら...

歴史

地域の歴史

史跡

大滝山自然公園

   「大滝山自然公園」は、上新城道川字大滝・イブリ沢地区にあり、市中心部から北東約8キロメートルと恵まれた位置にあります。 標高206mの大滝山に散策路や炊事場を整備し、他にピクニック・キャンプエリア、トイレ、遊水路...

自然・施設

花・樹木