-今も堀回を見守る、地域のシンボル-
元西小学校の入り口に、「小野寺家大手門址」の文字が刻まれた石碑が置かれています。ここが、堀回地域のシンボルでもある「西馬音内城」の大手門、つまり正面入り口にあたります。西馬音内城は、小学校の背後にある浦田山、世の沢山の一部と舘坂地内に位置する、別名川名池城とも呼ばれる城です。
室町から戦国時代にかけて雄勝地方を治めた小野寺氏の山城で、総面積23ヘクタール(こまちスタジアム約4個分)、西馬音内川と切り立った断崖に守られた天然の要塞で、中世の山城としては県内有数のものです。
小学校裏の山道を登っていくと、まず「十三森」と呼ばれる十三の塚が見えます。そこからしばらく歩いて行くと、櫓(やぐら)跡の標柱にたどり着きます。標柱の先にあるのは櫓の土台。この櫓の下を通らないと本丸へとたどり着けないよう、巧妙に道は配置されています。
櫓を抜けると、右手に櫓から続く巨大な三の丸の土塁を見ながら本丸に向かいます。一見、ただの山に見えますが、広大な敷地の中には明らかに人の手が加わった様子が残り、数百年昔の人々の息吹を感じることができます。
本丸から見下ろした二の丸付近には、西馬音内城に落ちのびた矢島城主大井五郎満安が、自身の身の潔白を証明し戦火を防ぐために自刃した、と伝わる場所があります。それからほどなくして、最上氏の侵攻を受けた西馬音内城は、戦いを避けるため城主により火を放たれ、落城します。本丸の中心にある井戸には、落城の際に銀の茶釜を投げ込んだという逸話も残されています。
毎年7月には本丸へ向かう道の草刈が行われるなど、元西、ひいては西馬音内地域の基礎を作り上げた領主が住んだ城として、今も地域の人々に誇りをもって愛されています。
西馬音内城の散策ルートはこのほかいくつかありますが、見学の際には、羽後町教育委員会に道路の状況等をご確認ください。
平成22(2010)年8月掲載
令和4(2022)年12月更新
■参考文献
『水と緑と史跡の里 見て歩記・資料編』
『秋田県指定遺跡 西馬音内城跡 見学のしおり』
【お問い合わせ】羽後町教育委員会
●電話:0183-62-2111(代表)
【蘭連リンク】産地直送ブログ
→秋の西馬音内城跡をめぐる!羽後町堀回地域の住民交流会(2018年10月掲載)
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