大館市中野地域は、浅利氏の支城「中野城」のあった場所でした。当時、比内近隣では大館市に次ぎ二番目の戸数を誇ったと伝えられています。
永禄2年(1559年)「桶狭間の戦い」の一年前、ここ中野城へ一人の武将が入城したと言われます。後に比内地方を支配する「浅利勝頼」です。
勝頼は、当時県の沿岸部~阿仁までをも支配していた秋田氏と組み、兄を追い落とすことに成功、浅利家の全権を握ります。
勝頼は、当時県の沿岸部~阿仁までをも支配していた秋田氏と組み、兄を追い落とすことに成功、浅利家の全権を握ります。
その後は、浅利氏は秋田氏の配下に近い形で発展しますが、秋田氏からの完全な独立を狙い、秋田氏へと牙をむきます。その勇猛さから、はるかに大きな勢力である秋田氏に対し、有利に戦いを進めていった勝頼ですが、和睦の席でのだまし討ちにより、その野望はもろくもついえ去りました。
浅利氏はその後頼平の代で滅びます。その後、秋田氏の支配下となった中野村は片山彦四朗の知行地(領地)となりました。
現在は静かなたたずまいを見せている中野地域ですが、そこにははかなく倒れた戦国武将の姿がありました。
平成23(2011)年4月掲載
■参考資料
『比内町史』
『現地説明看板』
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