湯沢市の末広町を含む岩崎地域にある「千年(ちとせ)公園」。この場所には、かつて岩崎城がありました。千年公園には、岩崎城を治めていた第14代目岩崎城主・河内守道高のもとに生まれた「能恵姫(のえひめ)」の伝説が残っています。
能恵姫が生まれ、城主からの信頼が厚い栗田五郎智学法印の妻が姫の乳母として仕えることになりました。それから100日ほどが経った頃、能恵姫は昼夜問わず泣き続けていました。心配になった智学法印は、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清め、城にある「白藤明神(高辻神社)」へ泣き止めを祈願しました。
乳母が泣き続ける姫を抱いて庭を散歩中、松の大木の下に差し掛かったところで姫が急に泣き止み、すやすやと眠りはじめました。その松の大木の根元には、卵形の石があり、その色や光沢は普通の石とは思えないものだったと言われています。
乳母がその卵石を道高公に捧げると、道高公はたいそう喜び、その石を姫の守り石としました。千年公園にある「玉子井戸」には、今も卵形の石が祀られており、井戸には雨乞いの神様が住んでいると伝わっています。
それから、能恵姫はすくすくと成長し、3歳になりました。ある日、能恵姫が庭に出て女中たちと遊んでいると、その姿をジッと見つめる美しい白蛇の姿がありました。毎日のように能恵姫の姿を追い、見とれているのを女中たちが気づき、「姫の用便を片付けてくれたら、姫が年頃になった暁にはお嫁さんにしてあげる」と白蛇をからかいました。
その話を聞いた白蛇は、毎日姫の用便を綺麗に片づけるようになりました。それから時が過ぎ、能恵姫は美しい年頃の娘に成長し、川連(かわつら)城へ輿入れすることになりました。輿入れの日は11月の初丑(はつうし)の日で、穏やかな天気でした。
しかし、皆瀬川を渡っている途中、突然天候が悪くなり嵐が起こりました。そして竜巻が起こり、姫は籠ごと竜巻にさらわれ行方不明になってしまいました。両家で姫の捜索を行うも、姫の行方は分からずじまいでした。
姫が行方不明になった年の冬、智学法印が庭の木の枝を剪定していると、手に持っていたマサカリを淵に落としてしまいました。マサカリを拾おうと試行錯誤しているうちに、法印の体は淵の中深くに沈んでしまいました。
気がつくと、法印は不思議な空間に立っていました。辺りを見渡すと大きな岩窟があり、そこには行方が分からなくなっていたはずの能恵姫が立っていました。法印は能恵姫が無事であったことに喜び、一緒に城へ帰ろうとしましたが、岩窟の奥を見ると大蛇が眠っていました。この大蛇は城の庭にいた白蛇で、約束を果たしてもらうために姫をさらったのでした。能恵姫は「過去の因縁により、二度とお城へ帰ることはできなくなってしまった。これから私は竜神に仕え、水難を救い、国土の護りとなって自身の罪を滅ぼします」と話しました。そして、法印に自分の櫛と笄(こうがい)を渡し、能恵姫が嫁ぐはずだった川連城の殿に形見として渡してほしいと頼みました。
その話を聞いた川連城の殿が、能恵姫の冥福を祈り建立したのが、湯沢市川連町にある「龍泉寺」だと伝わっています。
天正元年(1573年)、能恵姫の父である道高公が水神社を再建し、能恵姫を合祀しました。岩崎地域の「初丑まつり」は江戸時代ころから始まったとされ、能恵姫の命日である旧暦11月初めの丑の日に行われています。
平成28(2016)年3月掲載
【参考文献】
『湯澤市史』
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