新天地を求めて北に向かう人々は、鳥海山の青さに魅せられ、引き寄せられるのでしょうか。秀峰の歴史は、各地からの来訪者・修験者たちによって彩られています。往来のドラマが、大自然を舞台に繰り広げられてきました。
中直根集落には、今も真坂姓が多く見受けられますが、真坂正覚次郎という人物が源平合戦の頃に現れています。
正覚次郎は直根・笹子の地を本拠にして、山域全てに及ぶ勢力を持っていました。『鳥海町史』では、陸前国(宮城県)からの移住民である可能性を示唆していますが、いずれにしても古くからこの地に居を定め、開拓を始めた一族の出自です。
この正覚次郎が、由利郡(現在の由利本荘市)を統治していた由利氏の本城・豊岡を攻め落としてしまうという事件が起こりました。当時の混乱を伝える幾つかの資料には相違もありますが、由利氏が敗北して奥州藤原氏に援軍を願い出たという大筋は変わりません。
正覚次郎は大軍に囲まれて自刃を遂げます。反逆の理由は不明ですが、物語は山麓に宿った強い生命力と誇りとを示しているようです。
やがて、“由利十二頭”の時代が訪れます。由利郡に12人の地頭が赴任しますが、ほとんどが信濃国(長野県)出身の豪族である点が特徴的です。中直根地域に根井館や正重寺を築いた、根井(ねぬい)正重の根井氏も同様でした。
長野市の根井惣蔵家に所蔵される古文書には、正重にまつわる建造物や地名が明記され、深いつながりを維持していたことが認められます。
「勝れて端正才女なり」と評された正重の娘・時姫は、戸沢盛安に嫁ぎました。徳川家康に直訴して、御家存亡の危機を救った女丈夫でもあります。
その後は、最上氏、本多氏、打越氏、生駒氏と、目まぐるしく領主の国替えが行われました。また、院内銀山には諸国からの労働者が集まるようになります。
異文化が入り混じることによる発展もありましたが、民衆の立場への配慮が行き届かない場合もありました。
義民・仁左衛門と百姓たちの悲劇を生んだ「延宝の農民騒動」など、山の民としての尊厳が冒された時、正覚次郎の子孫たちは徹底的な反抗を見せています。
平成22(2010)年4月掲載
■参考文献
『鳥海町史』
『仁左エ門さまの話』原田明美著
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