小坂町鴇(ときと)地域の入口にあるバス停の傍らに、十和田山青龍大権現碑(とわださんせいりゅうだいごんげんひ)という白い石碑が立っています。
かつては道路のすぐ近くにあったのですが、現在は道路拡幅で、少々見えにくい場所にあります。
この碑は、十和田湖伝説の一方の主人公である南祖坊が、湖の主であった八郎太郎を追い出し、龍神に姿を変え湖の主として十和田湖に身を沈めたとされる伝承を記録したもので、天保3年(1832)に建立されました。
十和田湖は江戸時代、南祖坊……青龍大権現をご神体とする聖域であり、ここで山伏らが険しい峠道を越えて湖を訪れ、修行に励んだ場所でもあります。
十和田神社のある「休屋」という地名は、修験者や参詣者らの休憩した場所、という意味もあります。
古の修験者や旅人たちが十和田湖を訪れるルートは、大きく二つに分かれます。ひとつは白沢道(しらさわみち・現在の国道103号線)で大湯の四の岱を入口とするルート、もうひとつは藤原道(ふじわらみち)と呼ばれる、鴇集落を入口とするルートの二つです。そのそれぞれの入口に、十和田山青龍大権現碑が建てられました。これより神域に入る、ということを示す標識でもあったのでしょう。
菅江真澄の「十曲湖」では、文化4年(1807)の旧暦の8月に、真澄が七滝小学校付近から牛馬長根、子坂、鳥越という道順で一泊した翌日、藤原へ降りて七滝を見物、その後現在の樹海ラインを北に進み、外輪山を越えて鉛の鉱山へと至る足どりが記録されています。
十和田山青龍大権現碑が建てられる前の話ですが、この時真澄が通ったのが藤原道で、十和田湖に最もアクセスし易い道であったようです。
平成23(2011)年3月掲載
こちらの記事もおすすめです
鴇地域の活動
小坂町鴇(ときと)自治会の活動の歴史でユニークなのが、近隣の鳥越集落とともに行っていた「漬物コンクール」です。 各家庭で漬物用の大根を干す風景は、鴇の冬の風物詩でした。アイディアを出し合い、さまざまな漬物が...
地域活動
地域団体
鴇鉱山精錬所・選鉱場跡
小坂町鴇(ときと)地域の東の山中に、鉱山で栄えた「鴇鉱山精錬所・選鉱場」の跡地があります。 鴇鉱山開発は江戸時代までさかのぼります。延宝6(1678)年に発見された鴇鉱山は、当時の紀行家、菅江真澄も「十曲湖(とわ...
歴史
史跡
大根の山ブドウ漬け
ブドウ栽培が盛んな小坂町鴇(ときと)地域で食べられてきた郷土料理が「大根のブドウ漬け」です。 この漬物はブドウの香りと、くせのない上品な味わいで、塩とブドウ果汁のみを使用しています。皮を向いた大根を縦に二つ...
食
漬物