「前山」の名前が初めて記録に残されたのは文禄3(1594)年。当時、この地方を治めていた浅利氏と秋田氏の抗争に巻き込まれ、北秋田市の農村が放火・なで切りの被害を受けたと言われています。この件を大阪に報告した文書には「前山村 以前は15軒の家があったが、今はない」という一文があり、比較的大きい集落が形成されていたことがうかがえます。
その後、前山の集落は再興しましたが、どのような経緯をたどったのか、詳しいことはわかっていません。今の前山地域中心部より東側、伊勢堂長根のあたりが集落の中心地であったようです。
幕末から明治期にかけて、前山地域では石川道賢(1807年~1897年)という漢方の名医が活躍していました。寺子屋で読み書きを教え、絵や俳句をたしなみ、自分の作品を地域の人々に贈りました。どの家でも大晦日になると道賢の描いた掛軸をかけ、餅やお酒を供えて子供たちに拝ませたということです。
令和3(2021)年3月更新
■参考文献
『七座郷土史』 七座郷土史編纂委員会
『鷹巣町史』 第1巻、第3巻
『広報たかのす』 第420号 昭和54年11月15日
『秋田県の地名 日本歴史地名大系』 第5巻
こちらの記事もおすすめです
七座(ななくら)地区「親睦交流体育祭」
北秋田市の七座地区は、前山、今泉、黒沢の三つの集落からなる地区で、昭和30年頃から「さなぶり運動会」として、運動会を開催しています。七座小学校が火事で焼失したときは運動会の存続が危ぶまれましたが、何とか続けたい...
地域活動
世代間交流
前山婦人会の活動
北秋田市前山地域の拠点施設、「前山森林交流センター」から聞こえる明るい笑い声。声の主は「前山婦人会」の皆さんで、前山地域で様々な活動を行っています。 前山婦人会では、花壇で花を育てる活動が活発で、平成26...
地域活動
地域団体
おから入り干し餅
減反から生まれたアイディアの干し餅 寒さが肌に刺さるような冬になると、雪国の家々の軒下には色鮮やかな干し餅が吊され、真っ白な雪景色を彩ります。干し餅は寒風に晒して乾燥させた保存食として知られています。 北秋...
食
米菓子・餅