大館市の越山(こしやま)地域は、岩瀬川上流にある蛭沢、田茂ノ木、越山、羽立、長谷地、大石渡の6つの集落からなります。
『田代町史』によると、かつては蛭沢を除く5集落が古くから「越山五ヶ部」と称して、祭典などを一緒に行っていたと言います。
江戸時代には、田代岩瀬地域の中心部より多い、47軒の家があったと記録に残っています。蛭沢から越山へは、川の西岸から山越えを強いられてきましたが、明治の末に森林軌道と新しい道が通じ、集落同士のつながりが深まりました。
中世には越山館が作られたと記録されており、この館の主は「越山越後」または「越山作内」と伝えられています。
また、古くからの津軽地方との交流があり、津軽藩主の弟が石の塔を通り、藩境を越えて秋田へ来た話も残ります。その後も、県境の大鰐町と越山地域は石の塔を通じて深いつながりを持ち、今でも「五色湖まつり」には、大鰐町から「大鰐登山囃子」の方々が参加し、演奏を披露します。また越山地域のみなさんも、大鰐町で行われる「万国ホラ吹大会」に毎年のように参加しており、「ホラ吹き仙人」の称号を持つ方もいます。
また、越山地域は、さまざまな由来を持つ家々があります。『田代山丸田神社由来記』には、津軽碇ヶ関村の猟師彦之丞が田代岳で白衣白髯の老人に出会い、以来この神様を信じ、越山に移住したと伝わります。
その子孫たちの一族は今も碇ヶ関の一字「関」を名乗り、越山に住んでいます。また、蛭沢地域の「笹木(ささき)」という名字は、元は「佐々木」でした。彼らは近江源氏と伝わり、笹木の名字にしたのは、平氏の追討を避けるためともいわれています。
多くの歴史を残す越山地域ですが、古くから続く強い結束は今日も変わることがありません。
■参考資料
『田代町史 本巻』
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