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名物に触れる

1200年の歴史をもつ大屋梅

画像:1200年の歴史をもつ大屋梅

  大屋梅の歴史は古く、天長年間(824年~834年)まで遡ります。当時、鎮守府将軍小野春風が東北遠征のため出羽に来た際、随行した彦右衛門、平右衛門の二人は江津(滋賀県)に帰らず、藤原・阿部の姓を名乗って大屋に住み着いたと言われています。

 その時、彦右衛門は庭に梅の木を植えました。「浪速の梅(なにわの梅)」と呼ばれたこの梅の木が、大屋梅のはじまりと言われています。

 菅江真澄もこの地を訪れ、「雪の出羽路」に「江津(滋賀の古名)の庭梅、鬼嵐の江津彦右衛門の庭にあり、まことに大樹にして出羽、陸奥はいうもさらなり、かかる梅の木は世に類なきものなり。樹の高さ三丈四、五尺(約10~11m)、東西に十一間(約20m)、南北に十四間(約25m)」と記録されています。絵図も残っており、見事な枝ぶりを今に伝えています。

 また、秋田藩主佐竹義宣公が参勤交代の折りに立ち寄り、江津の梅を鑑賞した際に描かせた梅の絵図が藤原家に今も伝わっています。

 大屋梅の特徴は大規模な梅林ではなく、各家屋に「屋敷梅」として植えられていることと、数百年という年月を生き抜いた古木という点です。花は一重で薄いピンク色。
大正時代には、樹齢数百年を数える梅の古木が千数百本見られ、どっしりとした古木が茅葺き屋根に映える、著名な「梅の里」となりました。

 しかし、戦後の生活様式の変化と、昭和時代に本格化したより商品価値の高いりんごへの転作が行われ、梅の木は徐々に減っていきました。昭和40年代に入り、梅の古木(樹齢百年以上)と思われる梅の木はわずか400本ほどとなりました。

 昭和45年(1970年)「このままでは、梅がやがて『幻の大屋梅』となってしまう」という危機感から、地域の有志により「大屋梅林保存会」が結成されました。現在は「大屋梅保存会」と名前を変え、屋敷梅の保護だけでなく、梅林の形成、大屋梅を使った梅酒、梅の加工品なども活用し、地域活性化にも取り組んでいます。

2013年8月掲載

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