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歴史を知る

石川大火と天皇杯

画像:石川大火と天皇杯

 昭和38年におきた集落の悪夢を思い出すとき、石川の人々は「サンパチ」と呼びます。

 全焼138戸、半焼75戸、焼亡面積2万平方メートル。家屋に加え農機具などの設備の被害を合わせ、2億3655万円に及ぶ被害を石川にもたらした「大火」が起きたのは、昭和38年4月15日の午後2時ごろのことです。後に「石川大火」と呼ばれ語り継がれる、峰浜村最大の「災害」でした。

 半世紀が経とうとしている今も、当時を知る人々の脳裏には、「石川大火」の記憶が鮮明に残っています。「何日も前から乾燥した日が続いていた」……当時を思い出す石川の人々の言葉からは、不気味な前触れを住民が感じていたことが伝わってきます。

 4月の穏やかな昼さがりに発生した火は、わずか2時間の間に、石川を火の海にしました。当時の石川集落の住居は、ほとんどが茅葺屋根でした。火の粉は、順序だてて家々を伝うのではなく、風に乗って気まぐれに飛んでいきました。「まだ、自分の家には火の手はこないだろうと、他の家の消火を手伝っているうちに、自分の家が焼けてるんだ」と、話す石川郷中のみなさんの言葉からは、半世紀前の出来事が、今目の前で起こっているように、リアルに伝わってきます。 

 住居はもちろん、石川番楽や、駒踊りに奴踊り……石川に伝わる伝統芸能の道具も焼けて無くなりました。「何もかもなくなってしまった」と話す郷中のみなさんのコメントからもわかるとおり、残ったものは、着の身着のまま逃げてきた人々です。

 大火がもたらした傷、すべてを失った喪失感は、体験した人々でなければ想像もできない痛みを伴ったことでしょう。しかし、石川の人々は、自分たちの足で見事に立ち上がり、平成11年度、農林水産省の農林水産祭むらづくり部門の「天皇杯」を受賞しました。人々が助け合うことで、たくましく生きていけることを、石川の人々の姿が証明しています。

2011年4月掲載

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