-よみがえる小野城址-
小野城は、雄物川沿いに小野地域を見下ろせる場所にあります。小野寺氏がここ雄勝の地に入部したのに伴い、家臣姉崎六郎によって築城されたと伝わります。文禄2年(1593年)8月最上氏が攻め入った時には、小野寺氏家臣町田長右衛門が三百余人を連れて城に籠り、応戦しましたが落城したと言われています。
地元の方の話によると、別名「舞鶴城」とも呼ばれる小野城は、鶴が羽を広げたような形をしています。その首の部分にあたる尾根に巨大な空堀を掘ったために「鶴の首が切られて」落城に繋がったという話もあります。
平成22(2010)年現在は、入り口から林道に入ってすぐ左の細い歩道に入ることで、出丸から二の丸や本丸までを巡ることが出来ます。出丸と思われる部分にはかつて建てられていた神社の礎石を確認することができます。
また、近くの石堂の裏には十字が彫ってあります。これは「隠れキリシタン」のものとも言われています。本来の大手道はこのあたりから川の方へと九十九折りで続いていたものと思われます。
本丸へ続く道はとても見晴らしがよく小野地域を一望できますが、一転土塁の方へと目をやると、常に上から矢を射かけられる構造となっており、ここが要塞であったことを感じさせます。
本丸は広々とした平地となっており、冬場は遠くからでもその平坦な姿を見ることが出来ます。もちろん、周囲を監視するため、本丸からの眺望は抜群です。
また、小野地域の御返事城、平城、鵜沼城(区画整理により消滅)を一手に眺めることができ、南方からの侵略に備えていたことを伺わせます。
広々とした本丸跡ですが、かつては子どもたちがここに上って運動会や写生、そしてなんといっても、「いものこ汁が主役のなべっこ遠足」など、さまざまな活動を行いました。
現在は荒廃してしまった本丸付近を整備するべく、小野地域づくり協議会が立ち上がり、三年計画で整備事業を行っています。
2010年現在、中腹まで整備が行われ、平成23年度(2011年度)には山頂までの道路建設と重機による枯れた松の撤去などを行い、子どもたちが安全に活動できるように整備する予定です。
■参考資料
『雄勝町史』
『現地案内看板』
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