大仙市半道寺地域を流れる心像川(こころやりがわ)に架かる「寺ノ下橋」の両側には、2つのお堂があり、それぞれにお地蔵様が祀られ、お堂の内部には宝泉寺の住職によって由来が記されています。
由来書きよると、お堂の前の道は重要な道でした。しかし、当時架かっていた板橋は川の氾濫時に危険を伴うため、文政2(1819)年、半道寺肝煎(村長)だった嵯峨八兵衛が一念発起して橋を架け直し、さらにお地蔵様とお堂を建立・寄進したと言われます。
心像川は西から東に流れることから「逆川(さかさがわ)」と呼ばれ、このことから「逆川地蔵尊」と呼ばれるようになりました。霊験あらたかなお地蔵様として広く信仰されたということです。
また、橋を渡る時に川に落ちないよう、「着物の袖を引いて引き止めてくれますように」と願いを込めて、袖引き地蔵とも呼ばれています。
現在のお堂は平成4(1992)年に建てられたもので、今も地域の皆さんから大切にされていることが伺えます。
平成27(2015)年3月掲載
■参考文献
『現地説明看板』
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