2月11日、由利本荘市赤田地域の長谷寺(ちょうこくじ)には、たくさんの人々が集まります。「大般若会」、住民が「大般若」と呼ぶこの会は、三蔵法師が天竺から持ち帰ったお経「大般若経」を読む会です。
このとき、地域ではお寺への奉納の準備で大わらわとなります。
赤田地域内は、上(かみ)、中(なか)、下(しも)、に分かれており、それぞれがお寺で必要なものを伺い、奉納する「供物(あげもの)」を決めます。たとえば、平成23(2011)年の「中」集落ではマイクとアンプなど、実用的なものを奉納します。何十年か中断があった供物(あげもの)の行事は、昭和の終わりごろに復活しました。
大般若の準備は、数週間前からじっくりと行われます。まず俵編み、それから「脛布(はばき)」作りです。それぞれの会館に集まり、休みの日に人数分を手作りで揃えていきます。「脛布(はばき)」は藁で作り、左足にだけ巻くのがならわしです。
祭りが近付いてくると、今度は「お餅」の準備も始まります。主に餅まきで使われるお餅ですが、その量がものすごい! 平成23(2011)年の中集落では三斗六升(約54kg)ものお餅を使い、紅白のお餅を次々に作っていきます。お餅は俵に詰められ、担ぐための竹には紅白の布が巻かれ、準備万端となって当日を迎えます。
いよいよ当日、朝からお寺の行事が進む中、「中」の会館では午前10時半ごろには準備を終えてお寺へと向かい始めます。
揃いの法被、鉢巻きには奉納のろうそくを指し、左足には脛布、手には「家内安全」などの願いを書いた札を持ちます。それぞれが供物を担ぎ、「音頭あげ」の合図に合わせて「供物唄」を歌いながらの行列が、冬の寒さも厳しい中、ゆっくりと長谷寺を目指して歩き始めます。
途中、休み場になっている家では休むだけでなく「休む歌」「主人を褒める歌」なんかも歌われます。こうして集落の中を練り歩くのは地域の皆さん(講中)の願い事(家内安全、五穀豊穣、講中安全など)を受け止めてお寺で祈願するためなんだそうです。
「親願主」と呼ばれる願主の代表はスーツを着て先頭に立ち、その後ろに供物たちが続きます。長い長い行列は、雪の中、一本道を進んでいきます。
長谷寺のすぐ下にある、下会館、ここで中と下の集落が合流し、長谷寺からの連絡を待ちます。連絡を受けた行列は、大仏殿の前へと集合、ここで「供物唄」を競い合うように歌います。
やがて読経が終わり、住職たちが本堂へと戻るころ、一斉に供物を持った願主たちが大仏殿へとなだれ込みます。このとき、願いを書いた札は階段へと勢いよく叩きつけられ、割られてしまいます!
そして、50人以上いる参拝者たちが一斉に立ち上がります。俵が開かれ、中の餅が大量に撒かれます。また、願主たちの「脛布」は、漁のお守りとして漁業関係者たちから「もぎ取られ」ます。
こうして大騒ぎが静まり、参拝者も少なくなったころ、「赤田獅子舞」と、夫婦獅子の「柴野獅子舞」が奉納され、大般若は終わりを迎えます。
しかし、地域のみなさんの大般若はこれからで、お母さんたちの手料理でのもてなしが待っています。お昼から夕方近くまで、大いにのみ騒ぎ、祭りは終わりを迎えるのです。
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