江戸時代から続く地域の水がめ
由利本荘市赤田地域の神明社からさらに山の方へと向かうと、すぐに大きな堤が見えてきます。これが「六ヶ村堤」と呼ばれる地域の水がめです。
江戸時代中期、宝暦年間(1751年~1763年)に、亀田藩主が水不足の解消のために作ったのが最初です。この時に、平岡、漆畑、中の目、女岡、畑谷、山田の六集落の灌漑が行われたことから「六ヶ村堤」と名付けられました。その後も大切に整備され、明治・大正・昭和と徐々に堤体のかさ上げ工事が行われ、貯水量を増やしてきました。
昭和16年(1941年)戦争が色濃く影を落とす中、さらに南内越地区を含む563ヘクタールを灌漑するために改修工事が行われ、戦後の昭和27年(1950年)に工事は完了しました。ところが、戦時中の品質の悪いセメントを使用したため、施設の老朽化が進み、県営大規模ため池事業として再度改修が行われ、昭和44年(1969年)に現在の姿になりました。
現在は「六ヶ村ため池」が正式名称ですが、今も「六ヶ村堤」と呼ばれて親しまれています。赤田地域には直接灌漑されてはいませんが、ため池本体以外にも大事な施設があります。赤田地域の真ん中ほどには六ヶ村頭首工(とうしゅこう)があり、トンネルを通してため池への取水が行われています。安定した水利のために、この頭首工も大切に守られています。
今も農繁期に合わせて満々と水をたたえる六ヶ村堤は、地域の農業を守っています。
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