画像:石川駒踊りと奴踊り

 八峰町石川地域に伝わる石川駒踊りと奴踊りは、町の無形民俗文化財に指定されています。江戸時代初期の慶長7(1602)年、佐竹義宣が常陸(現在の茨城県)から出羽(現在の秋田県)の国へ領地の国替えとなり、出羽の国へ入るまでの道中、主君の旅情を慰めるために家臣たちが演じたことが、始まりとされています。

 踊りは、まず最初に奴踊りからスタートします。奴は駒の露払い、もしくは大名行列を表していると言う説もあります。踊り手、横笛吹き、太鼓打ちで構成され、「棒奴」で陣地を決めてから始めます。

 駒踊りは6~10頭の編成です。鎧、鉢巻で身を包み、腰に木製の馬体、前に駒首、後ろに駒の尾をつけ、馬にまたがったように見せます。踊り手、太鼓打ち手、横笛吹きなどで構成され、戦国武将が合戦する場面を表し、戦の始まりから勝敗までを、息をつかせぬほどの早さで踊ります。
 
 駒踊りは、戦前から戦後にかけて「存続若衆」などの男子によって伝承されてきましたが、昭和38(1963)年におきた石川大火により、江戸時代から受け継がれてきた衣装や記録文書を失ってしまいました。
 
 しかし、翌年の昭和39(1964)年、「石川駒踊り愛護会(現在の石川郷土芸能保存会)」が結成され、38人の会員が駒踊り復活のために力を尽くし、駒や太鼓などを揃え、昭和41(1966)年、復活の駒踊りを披露しました。その当時の演じ手は、平均年齢50歳。出稼ぎの為に練習の時間が無かったと言われますが、子育てを終えた女性や、子供たちがあとを継ぎ、地域の3人の青年が技術習得に本腰を入れて継承されてきました。
 
 現在は、地元小学校のクラブにも採用され、後継者の育成にも力がそそがれています。8月13日のお盆には、お寺や神社で五穀豊穣、家内安全、無病息災、先祖供養を願って踊りを奉納し、八峰町文化祭や各種イベントでも踊りが披露されています。石川地域の駒踊りと奴踊りは、地元の方々の強い気持ちと絆により、今も地域の大切な伝統として受け継がれています。
平成23(2011)年4月掲載

■参考文献 『峰浜村史』平成7年10月31日発行 

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