画像:久米岡集落出身の俳人「佐々木北涯」

 佐々木北涯(ほくがい)(1866年~1918年)は、秋田県を代表する俳人です。
 江戸時代の慶応2年(1866年)、鵜川地域の久米岡集落で生まれ、名は久之助と言います。祖父・父ともに俳諧の宗匠で、幼い時より俳句の手ほどきを受けました。明治30年(1897年)、北涯から指導を受けた能代市の俳人・島田五空らと「北斗吟社(ほくとぎんしゃ)」を結成し、機関誌「北斗」を発行しました。その後、秋田市河辺出身の俳人・石井露月も「北斗吟社」に参加したことで「北斗」は「俳星」と名を変えた俳句雑誌となり、平成27年(2015年)まで発行されました。北涯は「俳星」を通じて正岡子規とも交流があり、松山の「子規記念館」にある「日本俳句結社パネル」には北涯の名も記されています。
 
 北涯は身分の隔てなく俳句の楽しさを地域に伝えるため、地域の子供たちを集めて句会(芋の子会)を開催するなどもしていました。鵜川地域の鳳来院には、「祖翁(芭蕉)200年祭」の句額(北涯墨書)が奉納されています。この「200年祭」は北涯が中心となって開催し、県内外の高名な俳人が俳句を詠んでいます。また、鳳来院すぐ側の愛宕山公園には、北涯の句碑も建立されています。
 
 北涯は県会議員を4期務め、私財を投げ打って久米岡集落の開墾に貢献し、大正7年(1918年)、53歳でその生涯を閉じました。久米岡集落の神明社には、昭和19年(1944年)、物資の乏しい時代にも関わらず、地区住民によって建立された頌徳碑を今も見ることができ、北涯が地域から慕われていたことが伺えます。
 
 現在、北涯の命日にあたる5月15日には、任意団体「更生会」が久米岡神明社の頌徳碑の前で俳句会「北涯祭」を開催しています。(現在は農作業等の関係で6月第2日曜日に開催)また、久米岡集落では、北涯の功績を後世に伝えていくため「北涯翁をしのぶ会」を設立し、「久米岡ふるさと俳句大会」を集落行事として実施しています。全世帯に俳句を募集し、9月の秋祭りの宵宮の場で表彰式を行います。この他、10月中旬、町内外の人々を対象に「北涯俳句大会」を八竜公民館で開催しています。俳句を楽しむ文化が現代の鵜川地域にも受け継がれています。
平成27(2015)年3月掲載

■参考文献『八竜町郷土史 郷土の記憶 龍騰』

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