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歴史を知る

伝 明利又城跡と浅利氏墓石群

画像:伝 明利又城跡と浅利氏墓石群

 七日市地域には、室町時代この地域を支配したと言われる浅利一族にまつわる史跡が残されています。七日市地域の松沢集落から明利又(あかりまた)集落に向かって県道111号を進むと、道路右側に「明利又城跡と浅利氏墓碑群」の案内看板があります。
田んぼを挟んだ小高い丘が明利又城跡と伝えられています。甲斐国(現在の山梨県)出身の浅利氏は、大館市の比内地方で勢力を持った豪族でした。明利又城は浅利氏の出城(有事の際に使われた城)と考えられており、山頂付近には主郭や空堀などが残されています。
 
 県道111号をさらに500メートルほど東に進むと、左手に墓石群があります。かつて13基あったとされていますが、現在では7基が保存されています。江戸時代の紀行家・菅江真澄は、文化2年(1805年)の夏にこの地を訪れ、田畑から掘り出されたというこの墓石群が浅利氏にゆかりがあるのではないか、と推測しました。「摩耗が激しいが、1基に【嘉吉】(1441~1444年)の年号が読める」と、旅日記「美香弊乃誉路擘(みかべのよろい)」に記録しています。
 
 このことからも、この墓石群は南北朝時代、明利又城が使われていたのと同じ頃のものではないかと考えられています。昭和40年頃、道路工事のため現在の場所に移され、昭和61年、明利又城跡とともに北秋田市の史跡に指定されました。
 明利又集落には、浅利神社という浅利の名を冠した神社もあります。「あかりまた」という地名も「浅利やまた」がなまったものだとする説もあり、中世の歴史ロマンを感じられるエリアです。
2015年3月31日掲載
 
■参考文献
『菅江真澄遊覧記4』 内田武志 宮本常一 編訳
『現地案内看板』

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