本文へスキップ

歴史を知る

阿仁六ヶ山「三枚鉱山」

画像:阿仁六ヶ山「三枚鉱山」


 阿仁鉱山六ヶ山の一角を担う「三枚鉱山」が上小様地域にあります。古くは金山として発見された後、寛文7年(1667年)には大阪屋彦兵衛が発見し、その後、大阪屋久左衛門の手代、七郎兵衛が経営し、本格的に銅山として開発されました。最盛期には120戸、1004人が住んでいた記録も残る、上小様地域を代表する鉱山です。

 
 鉱山開発を請け負う山師たちは、佐竹藩に運上(納税)として金を治めていました。「三枚」の名は、14日間で金3枚を運上したことが由来とも伝えられています。別名「轟(どどろ)鉱山」とも呼ばれ、間歩坑(まぶこう)と呼ばれる鉱脈を探すために掘った穴が今も無数に残っており、山中の道端には緑青をふいた、まだ銅を含んでいる鉱石を目にすることができます。
 
 三枚鉱山の山頂付近には、3体の地蔵菩薩が今も佇んでいます。石像の裏側には「安永三年」と文字が刻まれ、当時、四国讃岐からやって来た「田中善兵エ」という人物が設置したと考えられています。
 
 上小様集会所(旧三枚小学校)から小様川を挟んで向林集落に続く坂道には、御台所と呼ばれる役所の門が設置されていました。上小様集会所の裏山には、開山して200年以上経っていることを記念し、明治13年(1880年)8月14日に建立された「鉱業記念碑」が、今も残されています。
 
2012年5月掲載
 
 ■参考文献
 『阿仁町史』
 『鉱山と生活 伝承と出会い』戸嶋チエ著

ページ上部へ戻る

北秋田の関連情報