小坂町鴇(ときと)地域の東の山中に、鉱山で栄えた「鴇鉱山精錬所・選鉱場」の跡地があります。
鴇鉱山開発は江戸時代までさかのぼります。延宝6(1678)年に発見された鴇鉱山は、当時の紀行家、菅江真澄も「十曲湖(とわだのうみ)」に「ときとおやまの赤銅(あかがね)」として記しており、盛衰を繰り返しながら明治を迎えます。
明治35(1902)年、山県勇三郎が鉱山を取り仕切るころが最盛期でした。その後、小坂鉱山を経営する藤田組が経営を引き継ぐものの鉱況不良となり、大正10(1921)年、選鉱場が火災になったことをきっかけとなり、一気に衰退します。
現在、鉱山跡に残るのは、二本建設されたレンガ造りの煙突のうち、倒壊を免れた一本と、からみ山(鉱滓)だけですが、平成14(2002)年、小坂町指定の史跡に指定されました。入口にある案内看板には、操業当時の写真や鉱山についての説明があり、かつての繁栄を偲ぶことができます。