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歴史を知る

江戸期に開かれた銅山・鴇鉱山

画像:江戸期に開かれた銅山・鴇鉱山

 

 鴇集落を奥へと進むと、やがて九十九折りの坂道となります。
 
 長い坂を下まで降りると、谷間の田んぼがのどかに広がっていますが、突き当たりの丁字路にある標柱が、「鴇鉱山跡」の入り口です。

左折して、沢の砂利道を注意して車で進むと、黒々とした小山が見えてきます。
この黒い小山、「からみ」と呼ばれる、鉱石を精錬したあとの鉱滓が積み上がったもの。転がっている小さなかけらを拾い上げると、ガラス質のような不思議な光沢を見ることができます。
 
 「鴇(ときと)鉱山」開発は江戸時代までさかのぼり、菅江真澄も「十曲湖(とわだのうみ)」に「ときとおやまの赤銅(あかがね)」として記しています。延宝6(1666)年に発見された鉱山は、盛衰を繰り返しながら明治を迎えます。
 
 明治35(1902)年、山県勇三郎が鉱山を取り仕切るころが最盛期でした。その後、小坂鉱山を経営する藤田組が経営を引き継ぐものの鉱況不良となり、大正10(1921)年、選鉱場が火災になったことをきっかけとなり、一気に衰退します。

現在、鉱山跡に残るのは、二本建設されたレンガ造りの煙突のうち、倒壊を免れた一本と、からみ山(鉱滓)だけですが、2002年には、町指定の史跡に指定されています。入り口にある案内看板には、操業当時の写真や鉱山についての説明があり、かつての繁栄を偲ぶことができます。
 
 さて、鉱山へ行く道とは正反対の、南に真っすぐ伸びる道、実はこれは鉱石運搬用のトロッコが走っていた道です。川沿いの田園風景を走るこのトロッコは、鹿角市十和田毛馬内まで続いていました。
 
 今もそのかなりの部分をたどることができます。今は道路になりましたが、当時の面影を残す道は、高清水地域まで車で走ることができます。作業車などに注意してのんびりと古道を巡る旅もいいかもしれません。
 
 ※煙突付近はレンガ崩落の危険性があります。危険ですので近寄らないようにしてください。
2011年3月掲載

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