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歴史を知る

木造建築の粋 栄小学校

画像:木造建築の粋 栄小学校

  栄小学校は明治7年(1874年)、鬼嵐(おにあらし)集落の正伝寺(しょうでんじ)境内に「大屋学校」として開校しました。
その後、明治19年(1886年)大屋新町小松原に校舎を新築移転し、余力(よりき)分校と合併、明治22年(1889年)町村制の実施により、周辺6集落が合併し栄村が誕生したことに伴い「栄小学校」と改称し、明治44年(1911年)現在の地、「和談(わだん)の森」のふもとに移築されました。

 時代につれて、栄尋常小学校、栄国民学校と名称を変え、昭和26年(1951年)町村合併により横手市と合併し、現在の横手市立栄小学校となりました。その後、昭和50年(1975年)校舎の老朽化に伴い、統廃合でなくなった栄中学校の校舎に移転しました。
中心部に大きな樹、周囲に松と桜が残る、空っぽになってしまった小学校跡地。そこに小学校が戻ってくることが決まったのは平成に入ってからでした。
環境に優しく、林業の振興や建築技術の継承のため、木造建築とする案が出されました。しかし、2mを超す豪雪に見舞われる地域で、雪下ろしの心配や落雪事故の危険なく木造の校舎が維持できるのか、地元の皆さんと、行政側、建築家が何度も協議を重ね、ついに着工が決断されました。
営林署や製材組合、地元の大工組合、横手市建築家協会が全面的に協力し、平成6年(1994年)12月、地元産の木材をふんだんに利用した校舎が完成しました。(基本設計 安藤邦廣/実施設計 横手市建築家協会)
各学年1~2クラスほどの小規模校である栄小学校。短い休み時間でも外で遊べるように、2クラスに1つの割合で昇降口があるユニークな造りとなっています。大きく中庭に張り出した昇降口は、秋田県立博物館別館・旧奈良家に代表される中門造りにヒントを得て、風除室を兼ね、冬場でも出入りしやすいよう設計されました。
教室の周囲には、雁木(がんぎ)を設け、大きく梁を出し、いわば屋根付きの広いベランダを確保しています。校舎の中と外を柔らかくつなぎ、遊び場とも授業の場ともなります。積雪時には窓が雪で埋もれず、視界も確保されます。雁木を設けるとどうしても窓が暗くなりやすいので、高窓で採光を図っています。校舎内装も木材で作られ、柔らかく優しい雰囲気に包まれています。
翌平成7年(1995年)1月には、木造平屋建ての体育館が完成しました。秋田県産無垢材を使用し、継手・仕口など伝統的な在来工法にこだわって建てられました。見事な梁組は実に魅力的で、木の国・秋田の面目躍如です。
雪深い地方で、雪と共に暮らす知恵が詰まった校舎。総延べ面積は校舎2774平方メートル・体育館996平方メートル、合計3770平方メートルという日本屈指の規模を誇る木造校舎として、見学者が現在も多く訪れています。

 

2013年8月掲載

■参考文献
安藤邦廣『住まいを四寸角で考える―板倉の家と民家の再生』
横手市『横手市史 昭和編』

 

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