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名物に触れる

真人(まと)発電所の遺構

画像:真人(まと)発電所の遺構

 亀田地域の南側を走る国道342号沿いに、緑の中に埋もれるようにして真人(まと)発電所の遺構がひっそりと眠っています。
 
 葉たばこの生産が盛んだった旧増田町でしたが、明治37年(1904年)、煙草専売法の施行により、原料葉煙草の買い上げから製造販売まで国の管理となったため、「増田煙草会社」は政府に買い上げられることが決定し、明治43年(1910年)に解散を余儀なくされました。そこで、増田煙草業組合取締役補佐だった松浦千代松は、明治40年(1907年)、旧増田町の味噌・醤油製造会社が自家発電により豆電球のイルミネーションを点したのを目の当たりにしたのをきっかけに、煙草に代わって電気事業を興そうと思い立ちました。
 
 明治41年(1908年)松浦千代松を会長として発起人会が開かれ、明治43年(1910年)に増田煙草会社の政府買上金と地元資本を基に「増田水力電気株式会社」が発足しました。同年、皆瀬川を利用した水力発電所・真人発電所が完成し、明治44年(1911年)に発電を開始。「横手、増田の両町内に千百三十九の電灯が魔法のやうに煌々たる光を放って、両町民を魂消さした」(昭和9年秋田魁新聞掲載)と言います。
 
 その後、大正年間(1912年~1926年)に徐々に発電力を増していきました。昭和初期には住宅4万戸以上に電力を供給し、北は旧阿仁町(現在の北秋田市)から南は山形県との県境付近まで送電していました。昭和15年(1940年)頃は社会科見学の定番コースでした。
 
2013年8月掲載
■参考文献
・『秋田近代史研究 49号』 秋田近代史研究会
・『増田町郷土史』 
 

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