画像:わらび粉誕生秘話(1)~おスエさん、オサノさん姉妹の根花餅~

 「また、根花餅(ねばなもち)を食べてみたい」。
そう呟いたのは、由利本荘市の三ツ方森(みつかたもり)集落に住む猪股おスエさん(写真右)でした。

 平成22(2010)年、三ツ方森集落で行われたワークショップで、おスエさんの言葉がきっかけとなり、「地域の元気づくり実践活動」として始まった「根花餅づくり再生・継承プロジェクト」には、三ツ方森集落や近隣の大台集落、石沢地域をはじめ、県職員、市職員や大学生など約40人が集いました。

 根花餅とは「わらび餅」のことで、山菜のわらびの根っこから抽出される粘々したデンプン、つまり「わらび粉(根花粉)」で作られます。平成22年の根花餅作りは、そのわらびの根掘りから始まり、根を叩いてデンプンを抽出し、さらに水で漉し乾燥したわらび粉を作りました。おスエさんが20歳の頃に作っていた根花餅の作り方を思い出しながら、参加者の皆さんに指導をしました。

 この時作った根花餅は固く仕上がってしまい、食べることが出来ませんでしたが、その後、三ツ方森集落の猪股保さんと節子さんが、大仙市南外に根花餅作りを勉強しに行きました。

 そして、平成23(2011)年11月、再び根花餅作りが行われました。おスエさんと姉のオサノさん(写真左)が指導し、根っこ掘りや、根を叩いてデンプンを抽出する作業を行います。デンプン抽出作業は、束になったわらびの根を叩いていきますが、大人数で叩いてもなかなか終わりが見えず、作業に慣れていない人は手にマメができるほどの大変な作業です。わらびの根のデンプンはヌルヌルとした触感がしますが、この後さらさらとした粉へと変身していきます。

 水で2回ほど漉した後、米ぬかでさらに漉し、「舟」と呼ばれる木の水槽でデンプンを分離させていきます。デンプンは水槽の下へどんどんたまっていき、このデンプンを乾燥させて砕いていくと、わらび粉が出来上がります。

 そんな大変な作業から作り出されるわらび粉は、山の上にあり田んぼの少ない三ツ方森集落では江戸時代から貴重な食料として食べられていました。

 また、おスエさんとオサノさんの出身地である由利本荘市の滝集落でも、戦時中、食糧難を助ける食糧だったと言います。早朝からわらびの根を掘りに行くことが、二人の仕事でした。2人が掘ってきたわらびの根で母親がわらび粉を作ったと言います。

 当時、わらび粉はお餅にすることもありましたが、ご飯が足りないときには少量のご飯にわらび粉を混ぜて、食べたこともありました。そんなわらび粉を使った根花餅は、平成23年11月12日、「三ツ方森茶屋」というイベントで復活を遂げました。地域内外の関係者、総勢70人が訪れ、たくさんの方に根花餅が振る舞われました。参加者は「歯ごたえがあってとても美味しかった」と話し、おスエさんとオサノさんも「去年より軟らかかった」「今回の根花餅はちゃんと餅の照りが出ていた」とその出来を喜んでいました。

 三ツ方森集落に嫁いで60数年、二人の戦争時の生きるための知恵が、地域のお宝を復活させた瞬間でした。

平成24(2012)年5月掲載
令和2(2020)年11月更新

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わらび粉誕生秘話(2)~猪股さん夫妻のわらび粉づくり~

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