-田沢疎水が開いた広大な田んぼ-
美郷町黒沢地域は、奥羽山脈の山々が迫る東側以外は周囲を広大な美田に囲まれています。そのほとんどは、戦前までは良くて畑、もしくは原野。集落の周囲には、松や雑木が生い茂る鬱蒼とした雑木林も広がっていました。それらを一挙に開拓したのが、戦後の食糧増産の動きでした。
黒沢地域の西側には、戦前から開発され、26年の歳月をかけて完成した田沢疎水があります。しかし、疎水より高い位置にある黒沢地域を含む東側の土地には、依然として広大な原野が残されていました。
この原野を開拓すべく、昭和38(1963)年に第二田沢疎水が着工します。重機など、技術が大きく進歩した工事は、水田の区画整理も含めわずか8年で完成にこぎつけました。第二田沢疎水の水路の総延長は7.5km。この農業用水路の開通によって、なんと総面積1,000ヘクタール以上(こまちスタジアム約200個分以上!)もの原野は、整然と区画された田園地帯へと生まれ変わったのです。
黒沢地域も例外ではなく、田んぼに適した場所は次々と開墾され、現在の雄大な田園風景が出来上がりました。
今も田植えの季節には、黒沢集落の東側の水路を、玉川から引かれた灌漑用水が沃野を潤しながら、滔々とながれていきます。
■参考資料
『千畑村郷土史』
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