「上舟木盆踊り」は北秋田市七日市地域の上舟木集落に約300年前から伝わる盆踊りです。「大名行列」「獅子踊り」「奴踊り」「駒踊り」などの踊りで構成され、駒踊りだけでも12の演目が伝えられていました。先祖を偲び、五穀豊穣の祈りを込め、墓地や集落の相馬家、鈴木家の前でお盆に演じられてきました。
七日市地域の各集落には、似たような踊りが各集落に伝えられています。その由来は藩政時代、佐竹藩主の巡遊の際、家臣が藩主を慰めるために踊ったのが始まりと言われ、舟材の産地として知られた上舟木集落には、舟材を切り出す職人が踊りを伝えたという説も伝わっています。
上舟木盆踊竜森保存会の会長・相馬鉄郎さんは、昭和13年(1938年)生まれです。盆踊りに初めて携わったのは18歳頃で、当時は一戸あたり2~3人の若勢(わかぜ=若者)がいるのが普通でした。盆踊りを行う若勢の会に入ってもなかなか役をもらえず、しきたりも厳しく、各家々の長男にしか踊りを教えない門外不出の踊りだったと言います。相馬さんも30代の頃、ようやく踊り手になれたそうです。
盆踊りは集落あげての一大行事でした。昔の草刈や田植えは手作業のため、お盆前は盆踊りのために一週間分早めて作業していたと言います。
また、上舟木の人々は葛黒集落や明利又集落まで行列を組んで練り歩き、踊りを披露したこともありました。葛黒までは約7㎞、明利又集落までは約5㎞あり、踊り手、お囃子など含め一行の人数は40人近くになったそうです。相馬さんの話からは当時の賑やかなお盆の情景が浮かび上がってきます。
昭和60年代まで上舟木単独で継承されてきた上舟木盆踊りですが、集落の人口減少により継承の危機に陥りました。そこで、相馬さんは上舟木を含む竜森地区(上舟木、松沢、明利又、黒森、三ノ渡の5集落で構成)の各集落に、踊りの担い手にならないか呼びかけます。門外不出の踊りを集落外に出すことに反対の声もありましたが、住民を説得して「上舟木盆踊竜森保存会」を結成し、その後、七日市地域内だけでなく、地域外の文化祭や芸術祭の場で踊りを披露されています。
平成27(2015)年3月掲載
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