「前山」の名前が初めて記録に残されたのは文禄3(1594)年。当時、この地方を治めていた浅利氏と秋田氏の抗争に巻き込まれ、北秋田市の農村が放火・なで切りの被害を受けたと言われています。この件を大阪に報告した文書には「前山村 以前は15軒の家があったが、今はない」という一文があり、比較的大きい集落が形成されていたことがうかがえます。
その後、前山の集落は再興しましたが、どのような経緯をたどったのか、詳しいことはわかっていません。今の前山地域中心部より東側、伊勢堂長根のあたりが集落の中心地であったようです。
幕末から明治期にかけて、前山地域では石川道賢(1807年~1897年)という漢方の名医が活躍していました。寺子屋で読み書きを教え、絵や俳句をたしなみ、自分の作品を地域の人々に贈りました。どの家でも大晦日になると道賢の描いた掛軸をかけ、餅やお酒を供えて子供たちに拝ませたということです。
令和3(2021)年3月更新
■参考文献
『七座郷土史』 七座郷土史編纂委員会
『鷹巣町史』 第1巻、第3巻
『広報たかのす』 第420号 昭和54年11月15日
『秋田県の地名 日本歴史地名大系』 第5巻
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