流域面積:4,100k㎡、幹川流路延長:136km、秋田県北部に位置し、かつては尾去沢鉱山や小坂鉱山をはじめとする鉱業と秋田杉の生産、集積により栄えた地域で、流域の北部に位置する世界遺産「白神山地」や阿仁川流域などに貴重な自然や文化を残している。
米代川本川は、その源を秋田・青森・岩手の3県にまたがる中岳(標高1,024m)に発し、花輪盆地、大館盆地を貫流し、白神山地や出羽山地からの大小支川を合流させ西流し、能代平野を経て日本海に注ぐ一級河川。(流域市町村:秋田県=能代市、大館市、鹿角市、北秋田市、藤里町、小坂町、上小阿仁村。岩手県=八幡平市。青森県=田子町)
流域は、大館能代空港が東京を結び、日本海沿岸東北自動車道の整備が年々進捗するなど、秋田県北で重要な役割を担う地域となっている。
河口部にある能代市はかつて木材産業で賑わい、北前船の寄港地で秋田・青森間の交通の要衝だった。
米代川流域には鉱山地帯が多く、尾去沢鉱山、小坂鉱山、大葛鉱山、阿仁鉱山、太良鉱山などの鉱山から出る鉱石は米代川での舟運で運ばれた。また、この地区は優れた材木の産地でもあり、これらも米代川を使って運ばれた(木材流送)。特に丸太を筏にして川に流す筏流しは1964年まで続いた。これらの輸送はその後鉄道と森林鉄道、トラックによる輸送に移行していった。
米代川の語源は「米のとぎ汁のような白い川」と言われている。上流部に住んでいた人たちが川で米をとぐと、川が真っ白になるほどだったという説のほかに、米代川源流地区現在の岩手県八幡平市田山にいた、だんぶり(トンボ)長者の米のとぎ汁だとする伝説もある。また、これは915年、十和田湖火山が大噴火を起こした際の火砕流や火山灰で白く濁った川の色を表現したとも言われている。
河口付近は能代川とも呼ばれており、明治の文豪幸田露伴は「遊行雑記」において「このあたりより能代川を左にして下る。此の路の景色いと好し。川は激しき流れなられど、水清くして悠々逼らず、それとも知れぬ樹々の色深く紅葉せるが、岸よりさし出でて影を浸せる、まことに錦をさらすかと見ゆ。」と米代川の景観を讃え、帆船が行き交う当時の様子などを書き残している。
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