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歴史を知る

江戸時代の治水の歴史

画像:江戸時代の治水の歴史

 七日市地域を流れる小猿部川は、両側が切り立った崖のようになっています。大雨が降れば洪水を引き起こし、周囲に甚大な被害をもたらしていました。洪水の被害を食い止めるため、そして農業を安定して営むためにも、農業用水の確保と小猿部川の治水は長年の大きな課題でした。

七日市村の肝煎(村長)長岐家を中心として行われた治水工事は10数か所にもおよんでいます。当初、木の樋を使って川から農業用水を引いていましたが、水漏れや洪水のたびに修理や作り直しが必要でした。

そこで、五代目肝煎・甚之丞は「元堰(もとぜき)」を作ることを思い立ちます。3年かけて岩を掘り、羽立集落のあたりで留めた水を、崖の中腹を這わせるように水を引いたのです。ノミとタガネしかない江戸時代に、人力で掘り進めた大工事でした。周辺の鉱山で働いていた人々の技術力にも助けられたとされています。

その後、七代目・肝煎・長崎七左衛門は元堰に平行するようにトンネルを掘って「中堰」を設けました。また、葛黒(くぞくろ)集落に水をあげるため「大留堰堤」を設けました。高さ4.5mもある「留めの大岩」を崖の上から切り落とし、大岩と対岸の崖の間に材木を渡したダムを築いたのです。その後の大洪水で「留めの大岩」は50mほど下流に流されてしまいましたが、現在も与助岱(よすけだい)集落付近の小猿部川の中に残されています。

長崎七左衛門の孫、九代目肝煎・文蔵は「中堰」の補強を行い、川の流れを緩やかにする「三段留」を川の中に設けました。工事を進める間にも洪水は容赦なく襲いかかりましたが、七日市地域の人々はひるむことなく挑み続けたのです。

水路の一部は現在も活用され、地域に水の恵みをもたらしています。
 これらの治水の足跡に触れるため、平成24年には、地元有志でつくる「おさるべ元気くらぶ」が「おさるべ一日探検隊」ガイドツアーを開催しています。
2015年3月31日掲載
 
■参考文献
『おさるべ元気くらぶパンフレット「おさるべかだるべ」』
『鷹巣町史』
『小猿部いまむかし』藤本英夫 著

 

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